日本は欧米列強と結んだ不平等条約を改正するためには、どうしたら良いかをいろいろ調べました。幕末には津田真一郎をオランダの大学に留学させ、また岩倉使節団を欧米に派遣しました。その結果、日本がキリスト教を基礎にした西欧文明を受け入れて「文明国」になる必要がある、ということが分かってきました。
そこで明治政府は、いろいろな手段で「文明開化」を推進しました。中には「そこまでしなくても」と思わず言ってしまいそうなものもありました。
明治16年、外務卿の井上馨は鹿鳴館でパーティーを催し、各国の外交官を招待して「どうだ、日本はここまで文明化しているぞ」ということを見せることにしました。
政府高官たちが夫婦そろって出席し、ダンスをしなければなりませんでした。江戸時代に育った高官夫人がワルツを踊れるわけがありません。そこで政府は芸妓や高等女学校の生徒たちを動員しました。彼女たちが慣れぬ洋装を着こなせるわけもありません。
外国からきた外交官たちは、日本人のやるパーティーのぶざまなことや日本人の洋装が似合わないことを、散々嘲笑しました。ビゴーという漫画家は、パーティーに出席した日本人の姿をサルのように描いて、それを新聞に投稿しました。
一般の日本人も、おろかなことに税金を使っていることを非難しました。散々な悪評のために、鹿鳴館のパーティーは4年続いただけで、中止されてしまいました。
当時の日本人は、そんなことまでして不平等条約を改正したかったのだなあ、と私はしみじみと思います。明治日本がやったことはことごとく条約改正のためだった、といっても過言ではありません。