歴史をひも解いてみると、日本が支那からの脅威を強烈に感じたことは、1300年以上前に一度あったきりです。663年に朝鮮の白村江で日本軍は、唐と新羅の連合軍に大敗北しました。東北地方はまだ服属していなかったので、大和朝廷が支配する総人口は300万人ぐらいでした。それが4万人の軍隊を動員して戦いに臨み、敗北して1万人の兵を失いました。
実に、人口の75人に一人を動員し、300人に一人が戦死した勘定になります。日露戦争(人口4500万人)の時の、動員数は40万人で戦死が9万人です。110人に一人を動員し、戦死は500人に一人です。白村江の戦いは、日本の存亡を賭けた日露戦争よりはるかに大規模な戦いで、しかも負けてしまったわけです。
白村江の戦いに比べたら、元寇のときの脅威ははるかに小さいです。日本に攻め込んできた元軍の主力は蒙古人に征服された朝鮮人と南方支那人でした。彼らは日本を略奪するという欲望に駆られて攻め込んで来ただけで、もともと戦意がありませんでした。
元寇後の元は内紛が相次ぎ、すぐに弱体化しました。元寇というのは、日本にとって一過性の危機でしかなかったのです。それに比べて、白村江の戦い後の唐はますます強大になり、いつ日本本土に攻め込んでくるかも知れなかったのです。日本の朝廷は、唐の侵入に備えて緊張のしっぱなしでした。支那からの脅威を強烈に感じたのは、白村江の戦いのときだけだったのです。
白村江の戦いと元寇以外に、支那が日本の脅威になったことは、今までないのです。白村江の戦い以前に支那や朝鮮が日本の脅威になったこともありません。「紀元前200年頃、朝鮮半島を経由して支那人や朝鮮人が日本に侵入し、縄文人を駆逐して農業を始めた」という説があります。
我々もこの説をあたかも事実であるかのように学校で教わりましたが、これはデタラメです。そんなことはなく、我々日本人は縄文人の直系の子孫だということは、DNA鑑定で証明されています。(またNHKが印象操作した)
仮に日本人と支那人や朝鮮人の先祖がおなじだとしたら、言語や民族の性格がこれほど違うはずがありません。また、たかだか2200年前のことですから、「我々の先祖は支那人や朝鮮人だった」という伝承が、日本各地に残っているはずです。
以下はひと続きのシリーズです。
4月9日 支那の国有企業が民営化すれば、共産党政権が崩壊し、伝統文化が傷つく
4月11日 支那の伝統を破壊するまでは、アメリカの目的は達せられない
4月12日 アメリカのスーパー301条は、邪悪な者には自由を認めない、という法律
4月15日 支那との付き合いが短い国が、支那の危険性に目覚めている
4月17日 支那の皇帝陛下は、日本の天皇陛下に手紙を出せない
4月18日 江戸時代の日本人は、支那を「聖人の国」だ、と誤解した
4月23日 支那は、自国民も外国人も守ろうとせず、略奪をする
4月26日 大アジア主義は、江戸時代の社会体制を前提として考え出された
5月1日 外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった
5月3日 金解禁によって日本は恐慌になり、国民は政党を信用しなくなった
5月6日 満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった
5月7日 元老、重臣、財閥、官僚、政党政治家は、みんな悪党だ
5月8日 軍人が行ったテロから、日本人は「赤穂浪士の討ち入り」を連想した
5月11日 軍人は、大アジア主義の発想から、支那本土で軍事作戦を行った
5月12日 日本軍が支那本土で軍事作戦をしたために、アメリカとの関係が悪化した