いままで一カ月以上にわたって、大アジア主義の流れを見てきました。要約すれば次のようになります。大アジア主義は、「日本人と支那人や朝鮮人は、儒教や仏教を信仰し漢字を使うなど、同じ文化を持っている。従ってお互いに理解し合える。だから連携して、欧米に対抗しよう」という考え方です。
しかし実際には、共通する文化はあまりありません。江戸時代の日本人が支那や朝鮮に対して生の情報が全くない状態で勝手に誤解した結果、空想で作り出したものです。従って支那人や朝鮮人は、大アジア主義を評価していません。
大アジア主義は、幕末の危機の時代に島津斉彬・勝海舟・吉田松陰などが唱えたため、日本人にかなりの影響を与えています。しかし明治時代は、伊藤博文や山県有朋などの優れた元勲が大アジア主義を評価していなかったため、実害はあまりありませんでした。
大正に入った頃から日本の政治家や外交官などの劣化が始まり、欧米のキリスト教文化の根底にあるFreedomの考え方を理解できずに外交的に失点を重ね、経済政策も失敗しました。また第一次大戦後に世界情勢が大きく変わったのにもかかわらず、伝統的な英米協調外交一辺倒でした。
このような事情から一般の日本人は政治家や外交官を信頼せず、彼らが固執する英米協調主義を信用しなくなり、幕末からの伝統的な発想である大アジア主義に傾いていきました。特に軍人が大アジア主義に大きく傾きました。
二・二六事件などを通じて、軍人が日本を支配するようになり、日本全体が大アジア主義を推進するようになりました。
軍人たちは、政治家や外交官を信用せず国際情勢を考慮しないで、大アジア主義政策を支那で推進しました。このやり方にアメリカが反発し、大東亜戦争の原因となりました。このように大アジア主義は、明治以降の日本に決定的な影響を与えています。
つまり、日本が大アジア主義を掲げてアメリカと関係を悪化させたもともとの原因は、日本人がFreedomという考え方を理解しなかったこと、及び支那人や朝鮮人と日本人は全然違うということを理解しなかったことです。
以下はひと続きのシリーズです。
4月9日 支那の国有企業が民営化すれば、共産党政権が崩壊し、伝統文化が傷つく
4月11日 支那の伝統を破壊するまでは、アメリカの目的は達せられない
4月12日 アメリカのスーパー301条は、邪悪な者には自由を認めない、という法律
4月15日 支那との付き合いが短い国が、支那の危険性に目覚めている
4月17日 支那の皇帝陛下は、日本の天皇陛下に手紙を出せない
4月18日 江戸時代の日本人は、支那を「聖人の国」だ、と誤解した
4月23日 支那は、自国民も外国人も守ろうとせず、略奪をする
4月26日 大アジア主義は、江戸時代の社会体制を前提として考え出された
5月1日 外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった
5月3日 金解禁によって日本は恐慌になり、国民は政党を信用しなくなった
5月6日 満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった
5月7日 元老、重臣、財閥、官僚、政党政治家は、みんな悪党だ
5月8日 軍人が行ったテロから、日本人は「赤穂浪士の討ち入り」を連想した
5月11日 軍人は、大アジア主義の発想から、支那本土で軍事作戦を行った
5月12日 日本軍が支那本土で軍事作戦をしたために、アメリカとの関係が悪化した