政府の指導者や政党幹部たちが劣化してきました。南京事件や金解禁などの政府の対応を見て、政府が本気になって国民を守る気がないことに、一般の日本人も気がついてきました。そうなると政府や政党が採っている自由主義や英米との協調政策をも疑うようになってきました。国民の心が大アジア主義の方に傾いてきたのです。
大正5年(1917年)にロシア革命が起きて、社会主義の国家が誕生しました。ソ連は、社会主義のもとでは失業がなく、国民は豊かで安全な生活をしていると虚偽の宣伝を世界中にしました。
当時はソ連の実態を西側は知らず、ソ連の宣伝をそのまま信じる人が多くいて、世界中で社会主義の人気が高まりました。国民が社会主義を評価するので、欧米や日本の政府も社会主義的な政策を採るようになりました。
ソ連の社会主義は、生産手段を国有にし、国境や民族を否定して全世界を一つにしようと考えていました。その上で、経済を統制し失業を無くして豊かな社会を目指しました。これに対して欧米や日本は、国家社会主義の方向に進みました。
国家社会主義は、生産手段の国有化をせず、国家を前提としていました。この点はソ連の社会主義と違いますが、経済を統制して失業をなくして豊かな社会を目指すという点では、ソ連と同じです。国家社会主義は社会主義の一種なのです。
国家社会主義というと、ドイツ・イタリアや日本を思い浮かべますが、アメリカのニューディール政策も国家社会主義です。中産階級に対して増税して富の再配分を行い、公共事業を行って失業を減らそうとしたからです。これは一種の統制経済です。実際、アメリカの連邦裁判所は、「ニューディール政策は、アメリカの自由の伝統に反している」という理由で違憲の判決を出しました。
日本でも国家社会主義が人気になり、特に軍人や経済官僚などに支持者が増えました。国家社会主義は統制経済を主張するので、従来の政府の方針である自由主義経済に反対しました。英米といえば自由主義というのが従来からの日本人の常識になっていたので、自由放任を嫌う軍人や経済官僚は、英米協調にも反対するようになりました。
多くの日本人は、反英米になり、大アジア主義に傾いてきたのです。
以下はひと続きのシリーズです。
4月9日 支那の国有企業が民営化すれば、共産党政権が崩壊し、伝統文化が傷つく
4月11日 支那の伝統を破壊するまでは、アメリカの目的は達せられない
4月12日 アメリカのスーパー301条は、邪悪な者には自由を認めない、という法律
4月15日 支那との付き合いが短い国が、支那の危険性に目覚めている
4月17日 支那の皇帝陛下は、日本の天皇陛下に手紙を出せない
4月18日 江戸時代の日本人は、支那を「聖人の国」だ、と誤解した
4月23日 支那は、自国民も外国人も守ろうとせず、略奪をする
4月26日 大アジア主義は、江戸時代の社会体制を前提として考え出された
5月1日 外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった
5月3日 金解禁によって日本は恐慌になり、国民は政党を信用しなくなった
5月6日 満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった
5月7日 元老、重臣、財閥、官僚、政党政治家は、みんな悪党だ
5月8日 軍人が行ったテロから、日本人は「赤穂浪士の討ち入り」を連想した
5月11日 軍人は、大アジア主義の発想から、支那本土で軍事作戦を行った
5月12日 日本軍が支那本土で軍事作戦をしたために、アメリカとの関係が悪化した