日本は維新以来、英米と良好な関係を保つことで近代化を推進し、日清・日露の戦争を切り抜けてきました。そのために日本の指導層や外務省は、親英米の政策をとり続けてきました。
第一世界大戦後に世界情勢ががらりと変わり、アメリカは日本を人種差別し敵視するようになりました。それでも日本の指導層や外務省は、親英米政策を堅持し続けました。当時も今と同じように、日本の産業はアメリカからの原材料輸入(石油と鉄くずなど)と製品の輸出(絹製品など)に依存していたので、何が何でも親英米というのも、一つの考え方だったのです。
ところが、南京事件のように政府と外務省は外交的なミスを続け、国民の信用を失っていきました。そういうときに政府は経済政策でも失敗し、ますます国民の信頼を失いました。
昭和4年 (1929年) 大恐慌始まる
昭和5年 (1930年) 金解禁(金本位制の復活)
20世紀に入った頃から、世界では金本位制が常識になっていました。国立銀行が発行する紙幣は政府が保有する金の信用に裏打ちされていました。すなわち誰でも(日本人でも外国人でも、外国政府でも)、日銀が発行する円紙幣を日銀に持参すれば、日銀はそれを金と交換してくれたのです。
ところが第一次世界大戦がはじまり、戦争に必死の西欧諸国は軍事費をねん出するために、紙幣を大増発しました。もしも大量の紙幣がその国の中央銀行に持ち込まれれば、中央銀行も金と交換が出来なくなります。そうなるとその国の紙幣の信用がなくなり、経済が崩壊します。そこで欧州各国は、金本位制を廃止し紙幣と金を交換することをやめたのです。日本とアメリカも金本位制を廃止しました。
第一世界大戦が終わり、世界の列強は次々に金本位制を復活しました。日本も金本位制を復活しようとしたのですが、ちょうどその時に関東大震災が起こり(大正12年 1923年)、経済復興のために、延期になりました。
そして今度こそ金本位制を復活しようとした時に、アメリカで大恐慌が起きたのです。最悪のタイミングでした。
以下はひと続きのシリーズです。
4月9日 支那の国有企業が民営化すれば、共産党政権が崩壊し、伝統文化が傷つく
4月11日 支那の伝統を破壊するまでは、アメリカの目的は達せられない
4月12日 アメリカのスーパー301条は、邪悪な者には自由を認めない、という法律
4月15日 支那との付き合いが短い国が、支那の危険性に目覚めている
4月17日 支那の皇帝陛下は、日本の天皇陛下に手紙を出せない
4月18日 江戸時代の日本人は、支那を「聖人の国」だ、と誤解した
4月23日 支那は、自国民も外国人も守ろうとせず、略奪をする
4月26日 大アジア主義は、江戸時代の社会体制を前提として考え出された
5月1日 外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった
5月3日 金解禁によって日本は恐慌になり、国民は政党を信用しなくなった
5月6日 満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった
5月7日 元老、重臣、財閥、官僚、政党政治家は、みんな悪党だ
5月8日 軍人が行ったテロから、日本人は「赤穂浪士の討ち入り」を連想した
5月11日 軍人は、大アジア主義の発想から、支那本土で軍事作戦を行った
5月12日 日本軍が支那本土で軍事作戦をしたために、アメリカとの関係が悪化した