19世紀末から20世紀前半の支那にはまともな国家がなく、自国民や居留する外国人を守ろうとせず、むしろ積極的に略奪をしようとしていました。そこで欧米列強や日本はしかたなく支那に租界を設け、自国の軍隊と行政官を駐在させていました。
支那人が外国人を襲撃したという事件は多くありますが、特にひどかったのが1927年に起きた南京事件です。南京事件というと、支那が「南京大虐殺」というウソを宣伝している南京事件が有名ですが、これは今私が書こうとしている事件より10年後に起きた別の事件です。
1927年当時の南京には、欧米人と日本人が多く住んでいました。暴徒化した支那人が外国人を襲い、商品を略奪したほか、外国人を殺し強姦しました。ところが支那の政府はそれを防ごうとしませんでした。
大アジア主義に関しておかしな本を書いた学者たちは、この事件のことについて書こうとしません。この事件当時の幣原外務大臣の対応がまたひどかったのですが、別のところで詳しく書こうと思っています。
日本も幕末に欧米列強と不平等条約を結び、国内に外国の租界ができました。それを屈辱と感じた日本人は、大日本帝国憲法をはじめとして法体系を整備し警察組織を作り上げ、日本人及び日本に居留する外国人の安全を確保しました。そうしたら、欧米列強は日本国内の租界を日本に返還し、治外法権を撤廃しました。
どこの国も、租界を設けるなどという金が掛り面倒なことなどしたくないのです。欧米列強や日本が支那の租界を廃止しなかったのは、支那にまともな国家がなかったからです。
20世紀初頭だけでなく、今でも支那にはまともな政府がありません。それはカナダ政府がファーウェイの副会長である孟晩舟を逮捕した時の、支那の対応を見ればわかります。先日カナダ政府は、ファーウェイの副会長である孟晩舟を逮捕しました。アメリカは彼女を引き渡すように要求していますが、支那はカナダに様々な圧力をかけて、彼女がアメリカに引き渡されないようにしています。
支那を旅行中のカナダ人を何人か逮捕し(どのような容疑かを公表もせずに)、その一人には死刑判決を出しました。そして彼らと孟晩舟を交換しようと言っています。支那は外国人をまともに保護しようとしません。自国民も保護しようとしません。このような国に嫌気がさして、支那人の8割はチャンスさえあれば支那から逃げ出したいと考えています。
特に共産党幹部の多くは、財産を外国に避難させ、自分の子供をアメリカに留学させ永住権を取らせて、自分がいつでも支那から逃げ出せるように準備をしています。支那人でさえ、自国にはまともな政府がないことを認識しているわけです。
以下はひと続きのシリーズです。
4月9日 支那の国有企業が民営化すれば、共産党政権が崩壊し、伝統文化が傷つく
4月11日 支那の伝統を破壊するまでは、アメリカの目的は達せられない
4月12日 アメリカのスーパー301条は、邪悪な者には自由を認めない、という法律
4月15日 支那との付き合いが短い国が、支那の危険性に目覚めている
4月17日 支那の皇帝陛下は、日本の天皇陛下に手紙を出せない
4月18日 江戸時代の日本人は、支那を「聖人の国」だ、と誤解した
4月23日 支那は、自国民も外国人も守ろうとせず、略奪をする
4月26日 大アジア主義は、江戸時代の社会体制を前提として考え出された
5月1日 外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった
5月3日 金解禁によって日本は恐慌になり、国民は政党を信用しなくなった
5月6日 満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった
5月7日 元老、重臣、財閥、官僚、政党政治家は、みんな悪党だ
5月8日 軍人が行ったテロから、日本人は「赤穂浪士の討ち入り」を連想した
5月11日 軍人は、大アジア主義の発想から、支那本土で軍事作戦を行った
5月12日 日本軍が支那本土で軍事作戦をしたために、アメリカとの関係が悪化した