支那は外国との間で取り決めた条約や協定を守ろうとしませんでした。その例はいくらでもありますが、ここでは済南事件を取り上げます。
1928年に蒋介石の軍隊と軍閥混成軍の間で戦争が起きそうになりました。両軍の日本人への略奪を警戒した日本は、3000の日本軍を済南市に派遣しました。結局戦争にならず、蒋介石は軍を済南市に入れようとしました。そして蒋介石は、日本人の安全を保障すると約束したうえで、日本軍の退去を求めました。
そこで日本軍は蒋介石を信用して退去しましたが、その後に蒋介石軍が日本人に襲いかかりました。日本人の居留民は略奪を受け、14人が殺害され、他にも多数が強姦されました。そこで日本軍は引き換えし、10倍以上の蒋介石軍を追い払いました。
このように支那は国家間の約束やルールを守ろうせず、まともな国家などではありませんでした。支那に国際的な取り決めを守るまともな国家がないという事実は、今も変わりません。
支那はWTOに加盟しているので知的財産権を守る義務があるのですが、ご存じのように外国の技術や商標権を無断で使い放題にしています。さらにハッキング行為を行って先端技術を盗んでいます。
また支那に工場を作る外国企業には技術の移転を強要したり、海外への送金を許さなかったり、工場を閉鎖する際には、法律に定めがない罰金を課したり、解雇される従業員に法外な退職金を要求したりしています。皆さんは、支那がこのような不正なことを現在行っていることを承知していると思いますが、これよりはるかにひどいことを戦前に行っていたのです。
支那には、今も昔もまともな国家がありません。そして外国人に不当なことを盛んに行っていました。これに対してイギリスやアメリカなど欧米の列強は、Freedomの考え方で対処していました。すなわち、イエスと同じ正しい心を持たない野蛮人は、力で抑えつけなければならないという態度をとったのです。
ところが日本人の場合、共に連携して欧米に対抗しようという大アジア主義が根底にあります。そのために支那の横暴に対して、一方で激怒しながら、もう一方で仲良くしようという何とも煮え切らない態度をとったのです。こういう甘い態度で支那からなめられ、終には大東亜戦争に繋がっていったのです。
以下はひと続きのシリーズです。
4月9日 支那の国有企業が民営化すれば、共産党政権が崩壊し、伝統文化が傷つく
4月11日 支那の伝統を破壊するまでは、アメリカの目的は達せられない
4月12日 アメリカのスーパー301条は、邪悪な者には自由を認めない、という法律
4月15日 支那との付き合いが短い国が、支那の危険性に目覚めている
4月17日 支那の皇帝陛下は、日本の天皇陛下に手紙を出せない
4月18日 江戸時代の日本人は、支那を「聖人の国」だ、と誤解した
4月23日 支那は、自国民も外国人も守ろうとせず、略奪をする
4月26日 大アジア主義は、江戸時代の社会体制を前提として考え出された
5月1日 外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった
5月3日 金解禁によって日本は恐慌になり、国民は政党を信用しなくなった
5月6日 満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった
5月7日 元老、重臣、財閥、官僚、政党政治家は、みんな悪党だ
5月8日 軍人が行ったテロから、日本人は「赤穂浪士の討ち入り」を連想した
5月11日 軍人は、大アジア主義の発想から、支那本土で軍事作戦を行った
5月12日 日本軍が支那本土で軍事作戦をしたために、アメリカとの関係が悪化した