昭和初期の政府指導者・政党幹部・外交官などの劣化が進み、国民は彼らを信頼しなくなりました。そうなると国民が頼りにするのは軍人だけになりました。軍人が日清・日露の戦いに勝って日本を一等国に押し上げたからです。戦前の軍人というのは非常なエリートで、彼らの方も日本を支えているという自覚を持ち、立派な人が多くいました。
陸軍は、農民を徴兵して兵士にすることで成り立っています。ところが政府が金解禁という愚策によって日本を恐慌状態にしたために、兵士になるべき若者が働いて家族を支えなければならない状態になったのです。軍人たちは、非常な危機感を持ち、無能で堕落した政治家たちに腹をたてました。
また軍人は、アメリカが日本人を人種差別していることに対する怒りを国民と共有していて、英米と協調する外務省を「英米追従外交」と非難していました。外務大臣の幣原喜重郎が南京事件でやったようなFreedomの原則から見てとうてい考えられないような愚かな行動を、「軟弱外交」とも言っていました。
多くの軍人が、「アジア諸民族と連携して欧米と対抗する」というアジア主義者になっていきました。そして満州の関東軍(日本が所有していた南満州鉄道を守るために駐屯していた日本軍のこと。兵力は1.5万人程度)が起こしたのが満州事変でした(1931年 昭和5年)。
彼らは満州を、大アジア主義の拠点にし、ソ連の侵攻に備えるつもりでした。関東軍の将校たちは、清の皇帝兼満州王だった溥儀(満州人)を皇帝にして満州国を設立しましたが、その統治の大原則は「五族協和」です。日本人・満州人・支那人・蒙古人・朝鮮人の五族が仲良くして国を良くしていこうという、まさに大アジア主義の考え方そのものです。
満州事変の作戦を立案したのは、石原莞爾中佐でしたが、事前に東京の中央の了解を得ない独断行為でした。関東軍から要請を受けた朝鮮軍司令官の林銑十郎中将も、軍中央の了解なしに独断で朝鮮軍を率いて満州に入りました。朝鮮軍というのは、朝鮮を守るために駐屯していた日本軍のことで、朝鮮人の軍隊という意味ではありません。当時の朝鮮人は国籍上は日本人でしたが兵役の義務はなく、兵士はほとんどが日本人でした。
以下はひと続きのシリーズです。
4月9日 支那の国有企業が民営化すれば、共産党政権が崩壊し、伝統文化が傷つく
4月11日 支那の伝統を破壊するまでは、アメリカの目的は達せられない
4月12日 アメリカのスーパー301条は、邪悪な者には自由を認めない、という法律
4月15日 支那との付き合いが短い国が、支那の危険性に目覚めている
4月17日 支那の皇帝陛下は、日本の天皇陛下に手紙を出せない
4月18日 江戸時代の日本人は、支那を「聖人の国」だ、と誤解した
4月23日 支那は、自国民も外国人も守ろうとせず、略奪をする
4月26日 大アジア主義は、江戸時代の社会体制を前提として考え出された
5月1日 外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった
5月3日 金解禁によって日本は恐慌になり、国民は政党を信用しなくなった
5月6日 満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった
5月7日 元老、重臣、財閥、官僚、政党政治家は、みんな悪党だ
5月8日 軍人が行ったテロから、日本人は「赤穂浪士の討ち入り」を連想した
5月11日 軍人は、大アジア主義の発想から、支那本土で軍事作戦を行った
5月12日 日本軍が支那本土で軍事作戦をしたために、アメリカとの関係が悪化した