満州と支那は別だということは明らかな事実なので、日本が満州国を承認し保護している状態のままならばさほど大きな問題にならなかったと思います。ところが日本はここでミスを犯しました。支那に進出したのです。
支那と満州の境目に熱河地方があります。ここは満州と支那との間の通り道で、山海関(北京から200キロぐらいの距離)という有名な関所がありました。歴代の支那の王朝は、ここで北方民族の侵入を防いだのです。
当時、熱河地方は支那と満州国の両方が領有権を主張していました。ここには満州馬賊の残党が多くおり、またアヘンの栽培が盛んで、非常に治安が悪い所だったのです。支那人の盗賊やテロリストたちが、熱河地方を通過して満州に侵入し、様々な犯罪を行いました。
そこで日本軍は熱河地方で、盗賊たちの討伐をしました。実はこれは、「紛争地帯に当事国が軍隊を派遣してはならない」という国際連盟規約に違反していたのです。違反したら経済制裁されます。しかし、この軍事作戦は天皇陛下の裁可を受けたものですから、簡単に中止するわけにいきません。
普段から外務省と陸軍の意思疎通が悪いので、外務省はこの国際連盟規約を見落としてしまったのです。国際連盟から脱退すれば、日本は経済制裁を免れます。そこで日本は昭和8年(1933年)に連盟を脱退しました。これが日本の国際連盟脱退の真相です。
熱河地方から満州に潜入してくる盗賊やテロリストの本拠地は、熱河地方よりも南方の支那本土の一部である華北にありました。そこで国際連盟を脱退してフリーハンドになった日本の軍人は、華北で軍事作戦を行うようになりました。
大アジア主義の発想をする軍人は、「盗賊を征伐すれば、満州だけでなく支那人も助かるだろう」と考えたわけです。東アジアにはもともと国家主権とか国境という概念がないので、大アジア主義も国家主権とか国境を考えません。
国家主権という視点から日本の行動をチェックするのが外務省の役割ですが、軍人が外務省を無視するので、どうしようもないわけです。
以下はひと続きのシリーズです。
4月9日 支那の国有企業が民営化すれば、共産党政権が崩壊し、伝統文化が傷つく
4月11日 支那の伝統を破壊するまでは、アメリカの目的は達せられない
4月12日 アメリカのスーパー301条は、邪悪な者には自由を認めない、という法律
4月15日 支那との付き合いが短い国が、支那の危険性に目覚めている
4月17日 支那の皇帝陛下は、日本の天皇陛下に手紙を出せない
4月18日 江戸時代の日本人は、支那を「聖人の国」だ、と誤解した
4月23日 支那は、自国民も外国人も守ろうとせず、略奪をする
4月26日 大アジア主義は、江戸時代の社会体制を前提として考え出された
5月1日 外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった
5月3日 金解禁によって日本は恐慌になり、国民は政党を信用しなくなった
5月6日 満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった
5月7日 元老、重臣、財閥、官僚、政党政治家は、みんな悪党だ
5月8日 軍人が行ったテロから、日本人は「赤穂浪士の討ち入り」を連想した
5月11日 軍人は、大アジア主義の発想から、支那本土で軍事作戦を行った
5月12日 日本軍が支那本土で軍事作戦をしたために、アメリカとの関係が悪化した