金本位制を廃止すると、紙幣発行の制限がなくなるので、政府は紙幣を増発する誘惑に駆られます。日本も紙幣を増発していました。金本位制を復活する(金解禁)ためには、政府が保有する金で交換に応じられる金額まで、紙幣の発行量を減らさなければなりません。紙幣を減らすということは、国の経済活動を縮小させるということです。
2009年から2012年までの3年間、民主党が政権を担当しました。このときに国の借金を減らし財政を再建するという誤った政策をとりました。そのために公共事業を抑制し、日銀は通貨発行量を減らし、市場から回収した紙幣で国の借金を減らそうとしました。その結果、日本の経済活動が縮小して大不況になり、1ドルが70円の超円高になりました。
今から89年前の昭和5年にも、日本は同じことをもっと大規模にやりました。しかもその前年にアメリカで大恐慌が起こり、その影響で日本も大不況の時にです。日本経済は一気に恐慌状態となり、倒産と失業が激増し、円高になり輸出も壊滅状態になりました。東北の貧しい農民が生活のために娘を売ったのもこの頃です。
金本位制復活を推進したのが、民政党の浜口雄幸首相と井上準之助大蔵大臣でした。彼らも金本位制の復活によって日本が不況になることを分かっていましたが、敢えてそれを強行しました。
当時の日本は、民政党と政友会の二大政党が互いに政権の座を争う二大政党制でしたが、これはアメリカの二大政党制をモデルにしたものでした。アメリカの場合は、州と連邦の関係をどう捉えるかという基本的な政策の違いが共和党と民主党の間にあります。しかし、日本の民政党と政友会の基本方針の間には大きな違いはありませんでした。そこで、どうしても個々の政策を強調することになってしまいました。
民政党は選挙の時の公約に金本位制を掲げて選挙に勝ちましたが、対立政党の政友会は、金本位制復活に反対していました。だから民政党は、意地でも金本位制復活という愚策を取りやめることができませんでした。当時の政党政治は、ここまで腐敗していたのです。
浜口首相は、暴漢に銃で撃たれて負傷し、結局この傷がもとで死にました。国民は政党を信用し無くなっていたのです。民政党も政友会も、自由主義と英米との協調を政策としていたので、国民はこれらの政策にも疑問を持つようになりました。
以下はひと続きのシリーズです。
4月9日 支那の国有企業が民営化すれば、共産党政権が崩壊し、伝統文化が傷つく
4月11日 支那の伝統を破壊するまでは、アメリカの目的は達せられない
4月12日 アメリカのスーパー301条は、邪悪な者には自由を認めない、という法律
4月15日 支那との付き合いが短い国が、支那の危険性に目覚めている
4月17日 支那の皇帝陛下は、日本の天皇陛下に手紙を出せない
4月18日 江戸時代の日本人は、支那を「聖人の国」だ、と誤解した
4月23日 支那は、自国民も外国人も守ろうとせず、略奪をする
4月26日 大アジア主義は、江戸時代の社会体制を前提として考え出された
5月1日 外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった
5月3日 金解禁によって日本は恐慌になり、国民は政党を信用しなくなった
5月6日 満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった
5月7日 元老、重臣、財閥、官僚、政党政治家は、みんな悪党だ
5月8日 軍人が行ったテロから、日本人は「赤穂浪士の討ち入り」を連想した
5月11日 軍人は、大アジア主義の発想から、支那本土で軍事作戦を行った
5月12日 日本軍が支那本土で軍事作戦をしたために、アメリカとの関係が悪化した