江戸時代の日本は鎖国していたため、支那に関する生の情報が入らず、現地に行ってその雰囲気を感じることもできず、はるか昔に書かれた史書・儒教の聖典・仏教書などに書かれている内容を鵜呑みにするしかありませんでした。
その結果、江戸時代の日本人は、支那は儒教の教え通りの「聖人の国」であり、儒教は日本の神道のようなものだ、と誤解しました。さらに、支那では未だに仏教が盛んに信仰されている、とも勘違いをしました。要するに、「支那人は、日本人とほとんど同じような考え方をしている」と、とんでもない思い違いをしたのです。
江戸時代も後半になると、日本近海に欧米列強の船が出没し、日本の安全が脅かされるようになりました。そして1840年(ペリーが日本にやってくる13年前)に、支那でアヘン戦争が起こり、清がイギリスに滅茶苦茶にやっつけられました。
「大国である清がイギリスに負けた」という情報は、すぐに日本にも伝わりました。長崎の出島にいたオランダ人は定期的に世界情勢を幕府に報告していたので、日本は早い段階でこの戦争の詳細を知っていました。
当時の日本人は自国の安全保障に危機感を募らせて、その対策を考え、「大アジア主義」で行こうという結論を出しました。大アジア主義とは、「東アジア諸国(具体的には、日本、支那、朝鮮)が連携して、欧米列強の脅威をはね返そう」という考え方です。
そしてこの考え方の前提にあるのは、「日本と支那や朝鮮は共に、儒教と仏教を信奉し、漢字を使用する。即ち共通する文化を持っているからお互いを理解できる。だから連携は可能である」という現状認識でした。こんな勘違いをしたのは日本人だけなので、「大アジア主義」を真剣に考えたのも日本人だけでした。
支那人は中華思想(華夷秩序)から、日本人を野蛮人と考えていただけでした。朝鮮人も「日本人は支那文化を理解しておらず、自分たちより劣っている」と考えていました。たしかに、日本人は支那の考え方を理解しておらず、その点では支那人や朝鮮人の言い分は正しいです。しかし、「支那文化を理解していないから野蛮だ」というのは、完全に間違いです。
日本人が大まじめに考えた「大アジア主義」は、前提条件が間違っています。
以下はひと続きのシリーズです。
4月9日 支那の国有企業が民営化すれば、共産党政権が崩壊し、伝統文化が傷つく
4月11日 支那の伝統を破壊するまでは、アメリカの目的は達せられない
4月12日 アメリカのスーパー301条は、邪悪な者には自由を認めない、という法律
4月15日 支那との付き合いが短い国が、支那の危険性に目覚めている
4月17日 支那の皇帝陛下は、日本の天皇陛下に手紙を出せない
4月18日 江戸時代の日本人は、支那を「聖人の国」だ、と誤解した
4月23日 支那は、自国民も外国人も守ろうとせず、略奪をする
4月26日 大アジア主義は、江戸時代の社会体制を前提として考え出された
5月1日 外務大臣が、英米のFreedomの原則を理解していなかった
5月3日 金解禁によって日本は恐慌になり、国民は政党を信用しなくなった
5月6日 満州事変以後、軍人たちは中央の言うことを聞かなくなった
5月7日 元老、重臣、財閥、官僚、政党政治家は、みんな悪党だ
5月8日 軍人が行ったテロから、日本人は「赤穂浪士の討ち入り」を連想した
5月11日 軍人は、大アジア主義の発想から、支那本土で軍事作戦を行った
5月12日 日本軍が支那本土で軍事作戦をしたために、アメリカとの関係が悪化した