明治初期にFreedomという現実社会を律する考え方の訳語に、自由という仏教用語を使いました。そのために、現実社会に関する事柄を、社会的影響を考慮しない仏教の考え方によって判断するという現象が起き、日本に様々な悪影響をもたらしました。経団連幹部が支那を訪問した際に、日本の現実社会にどのような影響を与えるのかを考慮しない浮世離れした発言をしたのも、これが原因です。
仏教用語の「自由」は、「周囲に人がいないかのように、勝手気ままに振る舞っても良い」という考え方で、Freedomとは考え方が基本的に違います。キリスト教社会で生まれたFreedomの説明をこれから行います。
「人間がイエスを信じれば、イエスは神様にその人間を推薦する。そうしたら神様は自分の魂の一部(聖霊)を息に含ませてその人間に吹き付ける。聖霊が付着した人間の魂は清く正しくなり、その結果人間は正しいことしか出来なくなる。」
キリスト教の教えをせんじ詰めれば、上記のようになります。そしてこの教えからFreedomの考え方が出てきました。聖霊が付着したために心が清く正しくなった人間は、正しいことしかしません。だから彼に対しては、「規則、ルール」などとうるさいことを言わずに、自主性に任せれば良いのです。
イエスを信じないので心が邪悪なままの野蛮人は、ルールでがんじがらめにして教育しなければなりません。これが「積極的自由」で、Freedomの考え方の一部です。
キリスト教の教会では、「聖霊の働き」という言葉をよく使います。私は最初この言葉が意味することが分からなかったのですが、「聖霊」をギリシャ語で「プネウマ」だということを知って、やっと納得しました。
「プネウマ」は、風とか息という意味です。旧約聖書には、「神が骸骨に息を吹きかけたら、骸骨が生き返った」などという記載が多くあります。人間は死んだら息をしなくなります。だから古代人は、息に生命の源が含まれている、と考えたのです。
古代のユダヤ人は、息には特別の力が含まれていると考えました。神様の息はさらに強力で、これが付着したら人間の心は生き生きとし、正しいことしかしなくなると考えたのです。この考え方をキリスト教も受け継いでいます。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない