ルターは「努力して、心の中の原罪を消し去る」というカトリックの教義に疑問を持ち、聖書を熱心に読んで、どうしたら原罪を消すことが出来るのかを調べ始めました。そして旧約聖書の「詩編」を読んでいた時に、やっと解答を見つけました。例えば、詩編の第130篇には次のように書かれています。
主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる、「主よ、どうかわが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けて下さい」。あなたにはゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるのでしょう。
つまり詩編は、「本気になって神様にお願いすれば、神様は人間の原罪を消し去って助けて下さる」と言っているのです。キリスト教は他力本願なのです。ルターはそのことに気付きました。ところがカトリックは、労働と祈りの生活という人間の努力を重視しています。これは自力本願の主張です。
ルターが悟ったちょうどその時に、カトリック教会は免罪符を売り出しました。これは、お金を払ってお札を買うという「善い行為」を行うことによって人間は救われる、という自力本願の考え方です。そこでルターは、「免罪符を売るのは間違っている」とカトリック教会に反旗を翻したのです。
「本気になって神様にお願いすれば、神様は人間の原罪を消しさって助けて下さる」という他力本願のシステムは、次のようになっています。
- 人間がイエス・キリストを信じて、原罪を消し去ってくださいとお願いをする。キリスト教は、イエスを信じる事と神様を信じる事は、結局は同じことだと考える
- イエスは、自分を信じた人間を神様に推薦する
- 神様は、イエスから推薦を受けた人間の原罪を消し去る。具体的には、神様は自分の心の一部を息に含めて、その人間に吹き付ける。神様の心はその人間の心に付着し、人間の心が神様と同じように正しくなる
- 心が正しくなった人間は、欲望を抑えることが出来るので、律法を守ることができる。その結果、人間は天国に行ける
プロテスタントは、イエスを信じればそれでよいのだ、と考えます。信じる者は救われるのです。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない