Freedomは、「人間が神やイエスを信じて願えば、神は自分の魂の一部を風に乗せて人間に送る。これが人間の心に付着し、人間の心は清く正しくなる」という考え方です。これと同じ考え方が、すでに説明したように神道にもあります。
「心が清く正しくなった人間は、良いことしかしない。そのような人物は、やむを得ない場合はルールの枠にとらわれずに、正しい判断をする。だから彼にはルールを厳格に適用せず、自主性に任せておけばよい。」という考え方がFreedomにはあります。
これと同じ考え方が、神道から生まれた「誠」の考え方にもあります。倫理学者の相良亨先生は、『日本人の心』という著書の中で誠を次のように説明しています。
1)私の無い心である
2)無私なるがゆえに、状況状況における是非善悪を明らかに捉える心である
3)その捉えた是非善悪に即して行動する心である
このように、キリスト教から生まれたFreedomの考え方と神道から生まれた誠の考え方はよく似ています。ただし違うところもあります。
Freedomには、「イエスを信じないために心が邪悪なままの野蛮人には自主性を認めてはならない。彼らに対してはルールを厳格に適用して、強制的に教育をしなければならない」という「積極的自由」の考え方があります。ところが日本の誠には、この考え方があまりありません。
私は、明治初期にFreedomを自由と訳したのは、大失敗だったと考えています。大正時代になった頃から今までの日本の迷走の原因になっているのです。
私は、Freedomを日本語に訳さずに、「フリーダム」とカタカナ表記するほうが良い、と考えています。Freedomと同じ考え方が日本語にないからです。これを説明するときは、神道の信仰から生まれた誠に近い考え方だ、と説明すれば良いと思います。
ただしFreedomと誠の違いを詳しく説明しなければなりません。さらに仏教用語である自由とは全く違う考え方であることも、説明するべきです。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない