マルティン・ルター(1483~1546年)は、一つのことを徹底的に追求する学者タイプで、がむしゃらで融通がきかない人物だったようです。頑固でその場の空気が読めなかったから、当時最強のカトリック教会に喧嘩を売ることができたのでしょう。
ルターの父は貴族でも学者でもなく、百姓あがりの鉱山業者でした。金持ちになったので、息子を大学に行かせることを思いつきました。この当時、商売人が息子を大学にやるというのは、相当の見栄っ張りです。
ルターは大学を卒業後、法科大学院に進学しました。ある日大学院に行く途中、草原で雷雨に遭い死の恐怖を感じたルターは、「聖アンナ、助けてください。修道士になりますから」と叫びました。
なお、聖アンナはイエスの祖母(生母マリアの母親)にあたり、鉱山業者の守護聖人だそうです。聖アンナへの誓い通り、彼は大学院をやめ修道院に入りました。当然ながら、父親とは大喧嘩しました。
キリスト教には、「原罪」という考え方がありますが、これは生まれつき人間に備わっている「欲望」のことです。神が定めた律法(人を殺してはいけないとか、ウソをついてはいけないなどの掟)を守れば人間は天国に行けますが、原罪があるために人間は律法を守ることができません。
原罪を心の中から消し去れば律法を守ることが出来、その結果人間は天国に行くことができます。当時のカトリックの修道院では、厳しい修道院の規則に従った生活を送り、祈れば原罪を消滅させることが出来ると考えられていました。
しかしルターは、努力しても心の中の欲望を消し去ることができず、律法を守ることができませんでした。律法の中には、「殺人を犯してはならない」などと違反したか否かはっきりと分かるものの他に、「隣人の妻を欲してはならない」「あなたの父母を敬え」など、心の動きに関するものもあります。このような律法に関しては、「自分は絶対犯していない」という自信を持てないのです。
このようにして、「努力して原罪を消し去る」というカトリックの教義に、ルターは疑問を感じました。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない