ルターは、本来のキリスト教は他力本願のシステムだ、と考えていました。人間がイエス・キリストを信じ本気になってお願いすれば、少し複雑なプロセスを経て、神様はその人間の心を清く正しくしてくださるのです。
そうなると、悪いことばかりしていた者も、イエスを信じれば天国に行けることになります。この結論に納得できない方がおられるかもしれませんが、宗教は法律と違って犯した罪と同じ量の罰を課すという考え方ではありません。
イエスを心から信じ、自分の心から欲望を消し去ってくださいとお願いすれば、神様はその願いを聞き届け、その人間の心を清く正しくします。そうなるとどんな悪党でも、悪いことができなくなります。それで良いではないか、というのがキリスト教なのです。
では今から、ルターが書いた「キリスト者の自由」の要点を書いていこうと思います。「キリスト者」という言葉はなじみがないと思いますが、「キリスト教徒」という意味です。どういうわけか日本のキリスト教は、普通は使わない表現をときどき使います。
ルターはまず、聖書は「律法」と「呼びかけ」の二つの言葉を使い分けている、と書いています。律法は、「人を殺してはならない」「ウソをついてはならない」などという掟です。律法は人間に何を為すべきかを教えますが、それを実行する力を与えません。旧約聖書は律法を前面に押し出し、人間に対し「律法を守れ、律法を守れ」と教えているだけです。
人間は、「自分には律法を守る力はない」と自分の無力さを思い、このままでは天国に行けないと不安になります。その時に神からの「呼びかけ」が現れて、次のように語ります。
「あなたがすべての律法を実行し、あなたの悪い欲望から解き放たれたいと願うなら、イエス・キリストを信じなさい。そうすれば、私はあなたにすべての恩恵をあたえよう。あなたは律法を簡単に守ることができるようになる。」この神からの「呼びかけ」が新約聖書の主要なテーマです。
「善行は神の力に頼っていないので、信仰のように多くを成し遂げられない。人間はイエス・キリストを信じるだけで十分であり、善行は不要だ」、ということをルターは書いています。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない