昨日まで、ミルの『On Liberty(自由論、自由之理)』の内容を見てきました。要約すると下記のようになります。
1、他人を害する行為でなく自分にだけ影響する行為については、個人の自主性に任せ外部からの干渉はしない。
2、自主性には例外があり、他人を害する行為が政府から規制されるのは当然である。国防や弱者の保護など多くの人の利害に影響を及ぼす行為に関しても、政府は個人に参加を強制しなければならない。
3、このような自主性が認められるのは「文明国」の大人に対してだけであって、子供や野蛮人に対しては自主性を認めない。
そして、「文明国」とはどこを指しているのかについては、一切説明がありません。しかし、19世紀後半のイギリス人にとって「文明国」とは、当然ながらキリスト教国である欧米諸国です。
表面的には宗教に関係なく「文明的」な民族にはFreedomを認めますが、実際にはキリスト教を信仰しない民族には厳しく対応しました。明治初期に日本に入ってきたFreedomの考え方は、ミルの『On Liberty』などキリスト教の前提を消した考え方でしたから、日本人はFreedomがキリスト教の信仰から生まれたことを深く考えませんでした。
Freedomの考え方がキリスト教の信仰から生まれたことは、キリスト教を説明している書物を読めば分かります。その代表が、マルティン・ルターが書いた「キリスト者の自由」という論文です。この論文は、岩波文庫の『キリスト者の自由・聖書への序言』という薄い本の中に収録されています。本文が39ページしかない短い論文ですが、1520年に書かれて以来ずっとベストセラーになっている古典です。
ルターはご存じのようにプロテスタントの創設者で、1517年にヴィッテンベルク教会の壁にローマ教皇への質問状を掲げて宗教改革を始めました。「キリスト者の自由」という論文はその3年後に書かれ、プロテスタントの信仰の本質について論じたものです。信仰の本質を論じたら、結果的にFreedomについて書いたことになりました。即ち、Freedomとはキリスト教の信仰そのものです。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない