大乗仏教の教義そのものが、日本人のFreedomに対する誤解と大アジア主義の幻想を助長しています。
大乗仏教は、世界はすべて仏様だ、と主張しています。仏様が、ある時は山川や月など自然物のように見え、あるときは動植物、あるときは人間に見えると考えます。人間と自然が一体となっていると考える日本文化の特徴は、ここから来ています。
人間も、仏様が個々の人間に見えるというだけのことなので、見かけや能力・性格など個性の違いも見かけだけだ、と考えます。大乗仏教は人間の個性の違いを認めないわけで、「人間は、結局は同じだ」という日本人の感覚はここから来ています。
大乗仏教の教義に染まってしまった日本人は、人種・民族などの違いも本当は存在しないと心のどこかで思っています。そこから「アジア人だから、同じだ」という大アジア主義の幻想が生じたのです。支那や朝鮮では大乗仏教は衰退していますから、彼らは素直に、「自分たちと日本人は違う」と認識しています。だから大アジア主義などに賛同しません。
仏教はものに対する執着を捨て去ることによって、俗世間のさまざまなしがらみ(苦)から脱して、心の平安を得ようという宗教です。だから仏教は、地位・財産・家族などの俗世間のしがらみを捨て去って出家することを重視するのです。
そしてすべてを捨て去り、しがらみから脱したすがすがしい状態を、「自由」と言っていました。つまり仏教用語の自由とは、社会生活と切り離された山の中で、勝手気ままに振る舞うことを意味します。
仏教はもともと、この出家を厳格に行っていました。ところが家族を捨て、野宿し、一人で山の中で瞑想生活を送るというのは、並大抵のことではありません。そこで「ものを捨てないで社会生活を続けても、心の平安を得られる」という教義が発生しました。これが大乗仏教です。
結局日本では、「一人で山の中で、勝手気ままに振る舞う」という自由な生活にあこがれるようになりました。そして、出家した気持ちになりさえすれば、実際にはものを捨てず社会生活を続けていても、自由な勝手気ままな生活は可能だ、と考えるようになったのです。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない