息に特別の力が含まれていると考えたのはユダヤ人だけでなく、日本人も同じことを考えていました。日本語に「息吹き」という言葉があります。神様が冬枯れの野に息を吹きかければ、野は命を注ぎ込まれて生き生きとし、春がきます。これが「春の息吹き」です。
日本人は神社で、「祓い給い、浄め給え、神ながら守り給い、幸い給え」と祝詞を唱えます。「自分の心の中の欲望を祓って、清く正しくしてください。神様のお力で、お守りください、幸せにしてください。」と神様にお願いしているわけです。すると神様は人間の願いを聞き届けて、清く正しい魂を人間に送ってくれます。
この神道の考え方が良く分かるのが、「タマフリの神事」です。タマは魂で、フリは触りです。今の日本語では触れるというのは接触するという意味ですが、古代日本語では付着するという意味がありました。つまり、神様の清く正しい魂を自分の魂に付着させて、生き生きと正しくするのが「タマフリ」の神事です。
キリスト教も神道も、神様は人間の願いに応じて、自分の魂の一部を息に含ませて人間に送ります。神様の魂が付着すると人間の魂は清く正しくなり、正しい判断ができるようになるのです。
キリスト教にも神道にも、出家という発想はありません。聖職者も信者も現実社会で生活をしているので、社会のルールに従って生きて行くのが原則です。仏教のように「周囲に誰もいないかのように勝手気ままに振る舞ってよい」などという考え方はありません。
このようにキリスト教と神道の考え方は、よく似ています。だから明治初期にFreedomの考え方が日本に入ってきた時、仏教用語である自由を訳語として使わずに、神道の言葉から適切なものを探し出してくるべきでした。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない