明治初期(明治11年)にできた東京商法会議所は、「天下国家」を論じる場所で、「経済的な国会」と表現もできるほどでした。だからその流れをくむ経団連が「天下国家」を論じ、会長が「財界総理」と言われていた時期がありました。
東京商法会議所を設立した渋沢栄一は、およそ500の企業の設立に関わっていました。その中には、みずほ銀行(日本興業銀行)、東京海上日動火災、日本郵船、JR,JAL、NTT、王子製紙、JFE(日本鋼管)、新日鉄住金(富士製鉄)、IHI,川崎重工、理化学研究所、大阪ガス、東京電力、など錚々たる大企業がたくさんあります。
尊皇攘夷の志士あがりの渋沢栄一が、富国強兵を図って「天下国家」の視点から作ったわけですから、これらの企業のDNAには、「天下国家」の発想が組み込まれています。敗戦後の高度成長期に日本企業が日本の経済的成長に邁進したのも、このような思想的な背景があったからです。
明治国家は「富国強兵策」を推進しましたが、その経済政策は自由主義経済でした。欧米との格差を痛感した日本の支配層は、当時の西欧の考え方をまるごと輸入しました。当時の西欧の経済政策は自由主義経済ですから、日本も自由主義経済を導入したのです。
多くの方は、「富国強兵」「天下国家」と自由主義の相性は悪いのではないか、と思われるかもしれませんが、それは誤解です。キリスト教の信仰から生まれたFreedomには「富国強兵」の要素があります。
日清戦争当時の名外交官だった陸奥宗光は、明治11~16年まで刑務所に収監されていましたが、その間にベンサムの『Principles of Moral and Legislation(道徳及び立法の諸原理』を翻訳し、『利学正宗』と名付けて出版しました。余談ですが、陸奥夫人は美人として有名でした。
ベンサムは、「最大多数の最大幸福」という考え方を主張したイギリスの学者です。19世紀までは、哲学と他の学問が分かれておらず、学者はさまざまな分野のことについて考察をしていました。今の分類でいえば、彼は哲学者・政治学者・経済学者でした。そしてその学説の本質は自由主義でした。陸奥宗光はベンサムの著書を読んで自由主義を理解しました。そして、日清戦争当時の国際情勢の中で、自由主義に基づいて日本の富国強兵を実現したのです。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない