明治初期の日本人は、政府高官も自由民権論者も多くの一般人も、自由主義を原則として国家を運営していこうとしていました。ただし政治的な自由の実施時期については、政府と自由民権論者の間に意見の対立がありました。
大久保利通など政府の高官は、日本人全体の意識を高めたのちに実施するから、それまでの準備期間が必要だと考えていました。一方の自由民権論者は即時の実施を求めていました。経済的な自由については、当然視していて意見の対立はありませんでした。
幕末までの日本には、「自由」という政治・経済用語はありませんでした。「自由」という言葉はありましたが、これは仏教用語であって、政治的・経済的を議論する時に使われる言葉ではありませんでした。
明治になって西欧のFreedomという考え方が日本に入ってきた時に、日本人は西欧人の書いたFreedomに関する著作を読み、その内容を理解しました。そしてFreedomという英語に自由という従来からあった仏教用語を訳語に使いました。
当時の世界最強の国はイギリスで、また自由主義を大原則としていたので、日本人はイギリスの学者の書いた自由論を読みました。明治5年(1872年)、中村正直はジョン・スチュアート・ミルが書いた『On Liberty』を訳し、『自由之理』というタイトルをつけて出版しました。
この本が大評判になり、日本人はこの本によって、Freedomを理解したのです。なお、英語にはFreedomとLibertyの二つの言葉があります。Freedomはゲルマン系の言葉で、Libertyはラテン語から来た言葉です。どちらも語源が違うだけで、意味は同じです。
中村正直(1832年~1891年)は、幕府の下級武士の家に生まれ、ペリーがやってくる5年前から英語を勉強していました。そして明治維新の2年前に留学生12人を引率してイギリスに留学し、明治維新後は大蔵省の翻訳局長になりました。
英語の専門家である中村正直は、明治3年(1870年)に、サミュエル・スマイルズの『Self Help』を翻訳し、『西国立志編』として出版しました。これは100万部以上売れた超ベストセラーになりました。2年後に出版したのが『自由之理』でこれもかなり読まれました。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない