昨日まで、ミルのFreedomに関する考え方の根幹部分を紹介しました。他人を害する行為ではなく自分にだけ影響する行為については、個人の自主性に任せ外部からの干渉はしないという考え方です。
もちろん、自主性にも例外があり、他人を害する行為が政府から規制されるのは当然です。国防や弱者の保護など多くの人の利害に影響を及ぼす行為に関しても、政府は個人に参加を強制しなければならないと、ミルは主張しています。
ただし、このような自主性が認められるのは文明国の大人に対してだけであって、子供や野蛮人に対しては自主性を認めない、ともミルは主張しています。では「文明国」とはどこなのかについては、ミルは一切説明していません。しかし、19世紀後半のイギリス人にとって文明国とは、キリスト教国であることは当然です。
ではなぜミルは、「Freedomが認められるのは、大人のキリスト教徒に限る」と言わなかったか、が問題になります。結論から言うと、ミルは従来のFreedomの考え方を一部修正しようとしたからです。
ミルの『On Liberty』の第一章では、Freedomの基本的な考え方を説明していますが、第二章では思想と言論に関して書いています。第二章にミルは本全体の1/3以上のページを割いていて、ミルが最も主張したかったのが思想と言論の自由だということが分かります。
第二章でミルは、思想と言論の自由が最大限に認められるべきだと主張しています。そうなると「Freedomはキリスト教徒に限定される」という前提が邪魔になります。だからミルは「文明国」がどこかということに触れなかったのです。
Freedomという考え方がキリスト教の信仰、特にプロテスタントの信仰から生まれたことは、はっきりしています。この事は、プロテスタントの創始者であるマルティン・ルターが『キリスト者の自由』という本を書き、Freedomの考え方を始めて明確にした、ということからも明らかです。この件に関しては、ミルの『On Liberty』の説明が終わったあとに、書こうと考えています。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない