ミルは、「子供や野蛮人が自主的に行動するのを許すわけにはいかない。未熟な彼らには保護が必要だ」と書いています。
さらに次のように書いています。「野蛮人を進歩させるのが目的であれば、野蛮人に対しては専制政治が正当な統治方法なのである。手段は目的の実現によって正当化される。」「自由という原則は、人々が何の制約も受けずに対等に議論して、それによって社会の改善をおこなうことが出来る段階に達して、ようやく適用される」
つまりミルは、Freedomを次のように考えています。
1、文明国の大人には自由を認める。彼らの自主性に任せればよい
2、野蛮人や子供には自由を認めない。彼らを保護しなければならず、それには強制が必要だ
3、明国の大人に対しても自由を認めない場合がある。他の人の安全を侵害するような行為をする自由は認めらない。
ミルの『自由論』のこのくだりを読めば、なぜ明治初期の日本が「文明開化」を進めたのかが分かります。欧米列強は文明国にしか自由を認めず、野蛮国には強制をするからです。19世紀半ば当時、西欧列強はアジアを植民地にし、現地人に様々な強制をしました。日本がそうならないためには、文明化する以外に方法がありませんでした。
当時の日本は、幕末に締結された「不平等条約」に苦しんでいました。欧米列強は日本の港に租界を設定し、その中で外国人が犯罪を行った時は、外国人の裁判官が外国の法で裁いていました。日本は「自主的」に国内を統治することが出来なかったのです。また、製品の輸出入の際に日本が課税する関税の率を日本は「自主的」に設定することができませんでした。
日本が裁判権や関税に関する「自主性」を回復するには、日本は文明国にならなければなりませんでした。そしてそのために、日本人はFreedomの精神に基づいて行動する必要がありました。
だから当時の日本人は、「文明開化」を推進し、自由主義を主張したのです。そしてこの政策の延長線上に、国民に自由を保障した大日本帝国憲法の制定がありました。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない