昨日、「経団連の幹部は、自由主義の内容を仏教の教義で捉えています。だから日本人の利益を考えず、勝手気ままに自分たちの利益を追求することが許される、と思い込んでいます。」と書きました。この点をもっと詳しく説明しようと思います。
仏教は、もともと出家者を対象にした教えです。出家者は、心の平安を求めて家族や財産などあらゆるものを捨てて、社会を離脱した者たちです。つまり仏教というのは、社会に対して関心を持っていないのです。
仏教が始まったばかりの時は、出家者は彼らだけで集まって人里離れた山の中で修行していました。彼らは托鉢などのためにどうしても俗社会と接触する必要がありました。俗社会には俗社会のルールがあるので、出家者もたまたま俗社会にいる時は、俗社会のルールに従いました。
仏教の戒律というのは、修行のやり方を規定しているだけで、俗社会との接し方については、「俗社会のルールに従え」としか書いていません。お経も仏教の教義や修業のやり方を教えているだけです。仏教は俗社会のことには、何も触れていないのです。
従って、インドの出家者が里に行ったときは、ヒンドゥー教の習慣に従っていました。同じように日本の出家者が里に托鉢に行ったときは、俗世間の習慣に従わなければなりません。里人が特定の山を神域として立ち入りを禁止していれば、出家者もその山に立ち入ってはならないのです。
日本のお寺の門の前に、人生訓が貼ってあるのをよく見かけます。「家族は仲良くせよ」とか「友達を大事にしろ」などという内容のものが多いです。仏教は出家して家族などの人間関係を捨てることが立派だと考えるので、「家族は仲良くせよ」などというのは仏教の教えに反します。
お寺の門前に貼ってある人生訓の中には、俗世間の道徳であって、仏教の教えでないものも含まれています。それは大乗仏教の僧侶が実質的に出家せず俗世間の生活をしているために、お寺を「経営」しなければならないからです。そのため、俗世間に生きている信者のニーズに応じるようになったのです。
以下はひと続きのシリーズです。
5月17日 「企業は社会的公器」という考え方が怪しくなってきた
5月19日 陸奥宗光は、自由主義に基づいて富国強兵策を実践した
5月21日 『自由之理』を読んで、日本人はFreedomの考え方を知った
5月22日 民主主義の時代になると、多数派から少数派を守ることが重要になる
5月23日 ミルは、子供や未開人には自由はない、と主張している
5月24日 日本の独立には、文明国になること、Freedomを認めることが不可欠だった
5月26日 ミルは、Freedomの考え方とキリスト教の関連を断とうとした
5月27日 ミルは、キリスト教も他の宗教と同じく完全ではない、と考えた
5月28日 ミルは、キリスト教徒以外にもFreedomを認めた
5月29日 日本人が学んだのは、キリスト教を消したFreedomの考え方
5月31日 ルターは、カトリックの修道士になったが、教義に疑問を感じた
6月4日 心正しいキリスト教徒に限って、律法を破っても良い場合がある
6月5日 ルターの「律法からの自由」とミルのFreedomは同じ考え方である
6月7日 バーリンのように、積極的自由を否定するのがこれまでの主流だった
6月8日 明治初期の政府は、税金を投入して自由主義経済を育てた
6月11日 Freedomの誤解と大アジア主義の幻想の根底には、大乗仏教がある
6月12日 大乗仏教は、民族の違いなどなく、勝手気ままな態度が正しい、と教える
6月13日 経団連幹部は、自由主義経済を大乗仏教の教義で解釈している
6月14日 出家しているはずの僧侶が、俗世に関わるようになった
6月15日 Freedomを自由と訳したのは、一種の神仏習合
6月17日 キリスト教も神道も、神は自分の魂を人間に付着させて心を正しくする
6月18日 Freedomは、日本語に訳さないほうが良いかもしれない