敗戦後の日本社会が大乗仏教化した大きな原因の一つが、日本国憲法の存在です。大日本帝国憲法は仏教用語である自由を国民の権利として保障したため、日本人は大乗仏教の教義で実社会を考えるようになりました。日本国憲法は、この傾向をもっと大々的に行いました。
大日本帝国憲法は、Freedomを「自由」と訳しましたが、Equalityは「均しく」と訳して仏教用語の「平等」を使いませんでした。ところが日本国憲法はEqualityを「平等」と訳してしまいました。Equalityは、それぞれの人間は違うように作られているが、一定の条件では同じように扱う、という限定的な考え方です。ところが平等は、全ての人間は全く同じだ、という考え方です。
大日本帝国憲法の第20条は、国民の兵役の義務を定めています。ということは、日本帝国は仲間である日本人を敵から守ることを宣言しているということです。仲間を守るというのは、Freedomと誠の考え方の根幹です。
一方の日本国憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれています。他人に日本の安全を委ねていて、自国民を本気で守ろうとはしていません。憲法第9条の「戦争放棄」の規定は、これを具体的に表現しているのです。
「敵が攻めてこようが、何が起ころうが、争いはいけない」というのは大乗仏教の発想です。どんなことがあっても戦いはいけない、ということを日本人は75年間も学校で教わり続けてきました。こんなことを子供の時に教えられたら、誰でも影響を受けます。今生きている日本人でこのようなことを学校で教えられなかった人は、90歳以上になっているはずです。
日本国憲法は、きわめて素性が怪しくちゃんと成立していない可能性が高いです。この辺の詳しいことはすでにこのブログで書いているので、ここでは繰り返しません。ただ一つだけ指摘しておきたいと思います。
この憲法は敗戦の翌年の昭和21年、アメリカに占領されているときに作られました。この憲法の賛否を問う国民投票は行われていません。だから日本人はこの憲法を承認したわけではないのです。
ところがこの憲法の96条では、改正には国会議員の2/3以上の賛成を得た後に、国民投票で過半数の賛成が必要だ、と規定しているのです。憲法を作った時は国民の賛成を得ていないのに、改正の時だけ過半数の賛成が要求されています。
御用学者たちは法解釈の技術を駆使してこのようなおかしな事実を正当化しようとしていますが、常識を備えた人にとっては、へ理屈にすぎません。
以下はひと続きのシリーズです。
8月1日 1970年と1989年が、戦後のターニングポイント
8月4日 1970年頃から、電車の中で座席を譲らないようになった
8月6日 席を譲らなくなったのは、自由の考え方が強まったから
8月13日 日本を占領したアメリカ軍の幹部に社会主義者が大勢いた
8月20日 占領軍の社会主義者は、日本の軍人や官僚とは別系統だった
8月22日 アメリカ占領軍は、マルクス系社会主義を持ち込んだ
9月3日 Freedomを自由と訳したから、社会主義が仏教化した
9月10日 フランスの学生は、大乗仏教に影響されて大学紛争を起こした
9月12日 日本の学生は、フランス製の仏教思想によって、大学紛争を起こした