前回まで書いてきたように、敗戦後の日本は大乗仏教化しています。このようなことを述べている者は、私以外にいないと思います。そもそも現代社会を宗教の視点で考える者は、欧米にはかなりいますが、日本にはごく少数しかいません。
ドイツのマックス・ウェーバーという学者は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書いて、西欧の資本主義はキリスト教のプロテスタントの信仰から生まれたことを明らかにしました。
この学説は世界的に有名で、大塚久雄はマックス・ウェーバーを研究して東大の教授になりました。ところが大塚先生は、日本の仏教や神道の視点で日本の近代社会を分析しようとはしませんでした。もっぱら西欧の社会をキリスト教の視点で読み解いて、資本主義を研究しているだけです。
日本にも、宗教の視点から日本の近現代史を読み解こうとする人が、少数ながらいます。面白いのは、彼らは専門の学者ではなく、どちらかというと素人だということです。山本七平は、『日本人とユダヤ人』や『空気の研究』を書いて、日本人の行動を宗教の視点から観察しました。
山本七平は、青山学院の高等商学部を卒業しただけで、社会学や宗教学を専門に学んでいません。親の代からのキリスト教徒なのでキリスト教に詳しかったというだけです。出版社の社長をやりながら仏典を一人で読み漁っていました。山本七平以前は、宗教を通して日本社会を分析しようという研究者は、出なかったようです。日本のインテリには、宗教をまともに考える習慣がなかったからでしょう。
宗教に関心がない日本のインテリでも、社会学や法学などの社会科学を研究するにはキリスト教の知識が必要でした。欧米の社会はキリスト教が基盤となっているので、キリスト教が分からなければ欧米の学者が言っていることが理解できないからです。しかし宗教そのものに関心が深いわけではないので、社会科学者たちのキリスト教理解はどうしても表面的であり、神道や仏教には最初から関心がないわけです。
このように日本の社会科学者たちには、宗教に関する知識が不足しているので、日本の社会を観察しても、それが宗教的であることに気が付かないのです。今の日本の社会主義が大乗仏教化していることに気が付かないのも、同じ理由からです。
私は20年以上プロテスタントの教会に通い続け、ある程度キリスト教を理解することができました。そんな時に山本七平や小室直樹を読んで、日本の社会を宗教から見ることは十分に意味があると思うようになりました。
そこで中年を過ぎてから、仏教を学び始めました。仏教を知ったことで、神道やキリスト教への理解も深まりました。仏教や神道の教義と現代の日本人の行動とが深く関係していることが分かってきたので、私は神道や仏教の視点から日本社会を分析した研究論文を探しました。しかし、全然見当たりませんでした。
神道や仏教を研究している宗教学者は、実社会にあまり関心を持たないのです。一方、社会科学の学者たちは神道や仏教に関心がなく、知識が十分にないのです。敗戦後の日本が大乗仏教化していることに多くの日本人が気づかないのは、神道や大乗仏教に関する知識が不足しているからです。
以下はひと続きのシリーズです。
8月1日 1970年と1989年が、戦後のターニングポイント
8月4日 1970年頃から、電車の中で座席を譲らないようになった
8月6日 席を譲らなくなったのは、自由の考え方が強まったから
8月13日 日本を占領したアメリカ軍の幹部に社会主義者が大勢いた
8月20日 占領軍の社会主義者は、日本の軍人や官僚とは別系統だった
8月22日 アメリカ占領軍は、マルクス系社会主義を持ち込んだ
9月3日 Freedomを自由と訳したから、社会主義が仏教化した
9月10日 フランスの学生は、大乗仏教に影響されて大学紛争を起こした
9月12日 日本の学生は、フランス製の仏教思想によって、大学紛争を起こした