前回は、1970年頃から、日本人は電車の中で年配者や体の不自由な人に席を譲らなくなった、という話をしました。
その言い訳に、自由の考え方を多くの日本人は使っている、と私は考えます。自由は仏教用語で、「自分の周囲に人がいないかのように勝手気ままに振舞っても良い」という考え方です。これと違って「仲間通しで助け合おう。そのために必要なら、法律や慣習を破っても良い」と考えるのが誠の考え方です。日本は1970年頃を境にして、誠よりも自由の方が強くなってきました。
周囲の人に配慮しない自由の考え方より、仲間通しで助け合う誠の考え方の方が、経済にも良い影響を与えます。自由の考え方が強くなってきた1970年頃に日本の高度経済成長が終わったという見方も、可能です。
日本人が電車の中で席を譲らなくなったという現象を、私だけでなく多くの人が感じていたのでしょう。1973年にJRが初めて優先席を車内に設置しました。当初はその狙い通りの効果がありました。しかしそれから50年近く経った今では、面の皮が厚い人が優先席に座るようになっています。
最近、混んでいる電車の中で席に座っている人は、その9割ぐらいがスマホを見ていて、周囲の人と目を合わそうとしません。しかし立っている人でスマホをしている人はあまり多くありません。
今でも日本人の多くは、「年配者や体の不自由な人には席を譲らなければならない」と考えているようです。しかし席を譲るという精神的な強さが必要な行為を行うことが出来ないでいるのです。
このように日本では、神道の信仰から来た誠の考え方が弱くなりつつあり、その一方で仏教の信仰から来た自由の考え方が強くなりつつあります。そして、この傾向と、経済的に沈滞したままの失われた30年とは関係があると考えます。
以下はひと続きのシリーズです。
8月1日 1970年と1989年が、戦後のターニングポイント
8月4日 1970年頃から、電車の中で座席を譲らないようになった
8月6日 席を譲らなくなったのは、自由の考え方が強まったから
8月13日 日本を占領したアメリカ軍の幹部に社会主義者が大勢いた
8月20日 占領軍の社会主義者は、日本の軍人や官僚とは別系統だった
8月22日 アメリカ占領軍は、マルクス系社会主義を持ち込んだ
9月3日 Freedomを自由と訳したから、社会主義が仏教化した
9月10日 フランスの学生は、大乗仏教に影響されて大学紛争を起こした
9月12日 日本の学生は、フランス製の仏教思想によって、大学紛争を起こした