前回まで説明したように、アメリカ占領軍がやった政策(天皇制の廃止、言論統制、財閥解体、農地解放、共産党系労働組合の支援、日本国憲法制定)のすべてが、日本の社会主義化を目指したものでした。
戦前の日本も社会主義者の軍人や官僚の勢力が強かったのですが、明治以来の自由主義(Freedom)の伝統があったため、農地改革や財閥解体まで踏み込んだ強力な社会主義政策は実施できませんでした。ところがアメリカ占領軍は、軍事力を背景に社会主義的改革を強行しました。
日本が占領されて一年半の間、アメリカ占領軍は日本の社会主義化を推進しました。しかし1947年に入ると、米ソの対立がはっきりしてきて、アメリカ占領軍は方針を転換しました。マッカーサー占領軍司令官は、占領軍の内部の社会主義者を追放しました。そして、天皇制を存続させることにし、日本共産党が計画していたゼネストを中止させました。
このように、敗戦直後で好きなように日本を変えられる時期に、日本はアメリカ式の社会主義化されたため、その後の日本の在り方に大きな爪痕を残しました。例えば占領軍が行った非常に巧妙な言論統制は、いまだに日本のマスコミの性格に大きな影響を残したままです。
アメリカ占領軍の中の社会主義者たちは、日本の軍人たちや官僚たちで社会主義者だった者たちを自分たちと同じ社会主義者だとは思わず、むしろ日本共産党員を自分たちと思想的に近いと思いました。
それは、アメリカ占領軍の社会主義者と日本の軍人や官僚の社会主義者は、系統が別だったからです。社会主義は、「正しいことは独裁者などの賢明な一人が決める。一般の国民はそれに従え」という考え方です。この社会主義には、マルクス系の社会主義と非マルクス系の社会主義の二種類があります。
マルクス系の社会主義は、君主制と私有財産を認めません。また民族とか固有の文化というものも認めず、世界全体を一つの国家にしようという目的を掲げています。ソ連は、マルクス系の社会主義です。
これに対して、民族の独自性を強調し、君主制や私有財産を認める非マルクス系の社会主義が別にあり、国家社会主義と呼ばれています。ドイツと日本がこれでした。
アメリカの社会主義はソ連が熱心に工作した結果、マルクス系になりました。第二次世界大戦は、マルクス系の社会主義国家と非マルクス系の国家社会主義国家との戦いだった、という側面があります。
以下はひと続きのシリーズです。
8月1日 1970年と1989年が、戦後のターニングポイント
8月4日 1970年頃から、電車の中で座席を譲らないようになった
8月6日 席を譲らなくなったのは、自由の考え方が強まったから
8月13日 日本を占領したアメリカ軍の幹部に社会主義者が大勢いた
8月20日 占領軍の社会主義者は、日本の軍人や官僚とは別系統だった
8月22日 アメリカ占領軍は、マルクス系社会主義を持ち込んだ
9月3日 Freedomを自由と訳したから、社会主義が仏教化した
9月10日 フランスの学生は、大乗仏教に影響されて大学紛争を起こした
9月12日 日本の学生は、フランス製の仏教思想によって、大学紛争を起こした