1960年安保の中心になっていた全学連(全日本学生自治会総連合)は、その後に弱体化し、1960年代後半には、新左翼の様々な分派がまとまりもなく集まっていた全共闘(全学共闘会議)が学生運動をリードしていました。
この全共闘が、1968年頃に多くの大学で大学紛争を起こしました。大学教授をつるし上げたり、大学をバリケードで封鎖して機動隊と棒で殴りあったりしました。この日本の大学紛争は、パリで起きた学生運動が日本に輸入されたものです。
1968年5月、パリのカルチェ・ラタンでフランス人の学生たちが敷石を剥がして機動隊に投げつける、という騒ぎが起きました。これを「5月革命」と言います。カルチェ・ラタンは、ソルボンヌ大学がある通りの名前です。この大学は超有名な大学ですが、もともとは神学校でした。
要するに、ソルボンヌ大学は、フランスの伝統であるカトリック信仰の中心地なのです。そんな場所でフランス人の学生たちが、キリスト教の伝統に反対して機動隊に敷石を投げたのです。そして学生たちが精神的指導者として仰いだのがサルトルでした。サルトルは、実存主義の哲学者として有名ですが、実存主義とは平たく言うと大乗仏教の教義です。
西欧人は、永年にわたってキリスト教の信仰にがんじがらめにされていました。キリスト教は、「神は永遠の過去から永遠の未来まで、その姿を変えることなくずっと変わらない状態で存在し続ける」、と考えます。永遠に変わらない状態を哲学用語で「実在」と言います。
ところが19世紀になって、「永遠に変わらない神という存在などないのではないか」という疑問を持つ不信心者が増えてきました。ちょうどそのころに西欧で仏教が流行りました。19世紀の西欧は、今では信じられないほど仏教思想が盛んだったのです。
仏教は、「自分が大切にしているものは、いつかは無くなる。永遠に変わらずに存在するものなどない」と教えています。この考え方を「諸行無常」といいます。この諸行無常の考え方を、西欧哲学では「実存」といいます。「ものは確かに存在するが、永遠にそのままの状態であるのではない。いつかは滅んで消えてしまう」という考え方です。この考え方をベースにした哲学が「実存主義」です。
ドイツにショウペンハウエルという哲学者がいましたが、彼の哲学は大乗仏教の教義そのものです。彼の後に、ハイデッガー、ヤスパースやサルトルなどが続いて、実存主義哲学を主張したのです。
サルトルの代表作は『存在と無』です。実際に世の中に存在するものは、永遠に存在し続ける(実在)わけではないが、全く存在しないわけでもない。その中間だという意味であって、大乗仏教思想、その中でも中観派という大乗仏教の一つの分派の主張と同じです。
いろいろ説明しましたが、1968年の日本の大学紛争は、西欧からUターンしてきた大乗仏教の思想に触発されて起きたのであり、大乗仏教系の社会主義運動なのです。
以下はひと続きのシリーズです。
8月1日 1970年と1989年が、戦後のターニングポイント
8月4日 1970年頃から、電車の中で座席を譲らないようになった
8月6日 席を譲らなくなったのは、自由の考え方が強まったから
8月13日 日本を占領したアメリカ軍の幹部に社会主義者が大勢いた
8月20日 占領軍の社会主義者は、日本の軍人や官僚とは別系統だった
8月22日 アメリカ占領軍は、マルクス系社会主義を持ち込んだ
9月3日 Freedomを自由と訳したから、社会主義が仏教化した
9月10日 フランスの学生は、大乗仏教に影響されて大学紛争を起こした
9月12日 日本の学生は、フランス製の仏教思想によって、大学紛争を起こした