日本人は、今でも無意識のうちに極めて宗教的に行動しています。また戦後の日本の社会は、神道の発想が弱くなり、仏教の勢力が増大しています。このことを、前回までのブログで、私の個人的な体験を通して説明してきました。
これから、敗戦後の日本を宗教の視点から読み解いて行こうと思います。
昭和初期の日本は、かなり社会主義化していました。社会主義者の軍人や官僚は戦争を続けることによって日本の社会主義化を促進しようとしました。その中にソ連のスパイが紛れ込んでいて、彼らは社会主義者の軍人や官僚を利用して、日本がアメリカと戦争をするように工作をしていました。
日本はこの工作に嵌められてアメリカと戦争を始めました。敗戦の年の2月に三度も首相を務めた近衛文麿侯爵が天皇陛下に上奏文を書き、この辺の事情を陛下に説明しています。
ソ連はアメリカに対しても盛んに工作を仕掛けました。その結果、アメリカも社会主義化しました。1933年から1945年まで大統領だったフランクリン・ルーズベルトは明らかに社会主義者でした。そして彼のスタッフには社会主義者が大勢おり、ソ連のスパイもいました。社会主義者とソ連のスパイは、日本との戦争を画策しました。
日米戦争は、それぞれの国の社会主義者たちとソ連のスパイが起こしたのです。フランクリン・ルーズベルトは日本が降伏する4か月前に病死し、副大統領だったトルーマンが昇格しました。副大統領だった者が前任者の任期の残りの政務を行ったのだから、前任者の政策や人事をそのまま受け継ぎました。
このようなわけで、敗戦後に日本を占領したアメリカ軍の幹部にも、社会主義者が多くいました。従って、占領軍は日本で社会主義的な占領政策を実施しました。占領軍は、刑務所に入っていた大勢の共産党員を釈放しました。そして彼らが日本で社会主義的な運動をやることを放置していました。
アメリカが単独で日本を占領したのではなく、ソ連も日本占領に参画しました。ソ連は日本に社会主義的な改革を要求したし、日本共産党員で支那に逃れていた野坂参三を日本に帰国させ、日本を社会主義化させようとしました。今では、野坂参三がソ連のスパイだったことが明らかになっています。
以下はひと続きのシリーズです。
8月1日 1970年と1989年が、戦後のターニングポイント
8月4日 1970年頃から、電車の中で座席を譲らないようになった
8月6日 席を譲らなくなったのは、自由の考え方が強まったから
8月13日 日本を占領したアメリカ軍の幹部に社会主義者が大勢いた
8月20日 占領軍の社会主義者は、日本の軍人や官僚とは別系統だった
8月22日 アメリカ占領軍は、マルクス系社会主義を持ち込んだ
9月3日 Freedomを自由と訳したから、社会主義が仏教化した
9月10日 フランスの学生は、大乗仏教に影響されて大学紛争を起こした
9月12日 日本の学生は、フランス製の仏教思想によって、大学紛争を起こした