南朝鮮は、檀君が約4300年前の紀元前2333年に最初の朝鮮王朝を開いた、ということを史実として子供たちに教えています。支那の最初の王朝である殷が始まったのが3400年前、神武天皇が王朝を開いたのが2700年前ですから、檀君朝鮮は東アジアで最古の王朝ということになります。もちろん檀君の朝鮮王朝は神話であって、史実ではありません。
4世紀の朝鮮は、北半分が高句麗という満洲にあった王国の領土の一部でした。高句麗は狩猟民である満州人(女真人)が建てた王国で、北朝鮮に住んでいたのは、満州人・濊人・沃沮人などでした。南朝鮮は新羅・百済・任那日本領と三つに分かれ、住民は農耕民でした。つまり4世紀の段階の朝鮮半島は、民族的に雑多で、国は四つに分かれていたのです。
朝鮮人の苗字は、多い順に、金・李・朴・・・と続きます。金というのは、実は狩猟民である満州人の苗字です。満州人は金という名称が好きで、苗字や国名に金という言葉を付けました。17世紀初めにアイシンギョロ・ヌルハチという満州人が金という王朝を建てました。金王朝は後に清と王朝名を変えました。そして、アイシンという苗字は満州語で金の意味です。つまり、金という苗字の朝鮮人の先祖は、満州人だということです。
7世紀の終わりに、唐と新羅の連合軍が高句麗・百済・任那日本領を滅ぼしました。学校の教科書では新羅が朝鮮半島を統一したと書いていますが、これはウソです。新羅が新たに領土にしたのは百済と任那日本領です。北緯39度線より北の高句麗領は唐の領土になりました。新羅が得た高句麗領は北緯39度線より南だけで、今の韓国より少し広いぐらいの領土しかなかったのです。そして、この39度線が、狩猟民と農耕民の居住地域の境界だったのです。
新羅
現在の朝鮮
朝鮮の事大主義は新羅の時代に始まりました。とにかく朝鮮文化を支那化して、唐のご機嫌を取り結ぼうとしました。その一環として行ったのが朝鮮人の苗字の支那化です。それまでの苗字は長かったのですが、それを一字にするように新羅王が国民に命令しました。その時に多くの朝鮮人は「李」を選びました。唐の帝室が李氏だったので、それにあやかったのです。
日本人は大東亜戦争に負けても、苗字をウィルソンやフォードにはしませんでした。日本文化の伝統からそんなことを考えもしなかったのです。7世紀の朝鮮人が苗字を変えたのは、自分たちが支那人とは別の文化を持つ民族だという自覚がなかったからでしょう。
7世紀から10世紀まで続いた新羅の段階では、朝鮮民族はまだできていなかった、と考えてよいでしょう。そもそも北朝鮮の部分は外国だったのです。
以下はひと続きのシリーズです。
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9月26日 南部は、北部の文化の押し売りを嫌がって、南北戦争を起こした
9月29日 アメリカ人の、「自分は正しい」という発想は根強い
10月13日 トランプは、共和党の中のネオコンと戦って大統領になった
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10月22日 ユダヤ人のほとんどは、アメリカとイスラエルに住んでいる
10月24日 第二次大戦後にアメリカはイスラエルを特別扱いし始めた
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