イスラム教にはFreedomや誠の二つの要素のうち、「仲間どうしで助け合う」という考え方はあるのですが、「正しいことを行うのであれば、社会的な法律やルールを破っても構わない」という考え方が欠けています。なぜ欠けているかを、これから説明します。
キリスト教や神道が規定する社会的ルールは、かなり大雑把です。例えば、キリスト教の「モーゼの十戒」は、10の規定しかありません。「他の神を拝めてはならない」とか、「殺人はいけない」「盗みはいけない」「ウソをついてはいけない」などです。
10しかルールがないと、複雑な現実に対応できません。ヴィクトル・ユーゴーの名作『レ・ミゼラブル』の主人公は、飢えた子供のためにパンを盗みましたが、この行為は十戒の「盗みはいけない」に抵触します。しかし、このような状況の主人公を罰するのが本当に正しいのでしょうか。友人の命を救うためにウソをつくことも、十戒の「ウソをついてはいけない」に抵触します。
キリスト教と神道は、このような現実に起きる具体的な問題を解決するために、自分の心を正しくせよ、という提案をしています。イエス・キリストを信じたり、無私になったりすれば、心が正しくなり、神と同じ正しい判断ができるようになります。
正しい心で「飢えた子供のためならばパンを盗んでも良い」と判断すれば、「盗みはいけない」というルールを破っても良いのです。友人の命を救うためだったら、ウソをついても良い場合があるのです。このようにして、Freedomや誠の「正しいことを行うのであれば、社会的な法律やルールを破っても構わない」という考え方ができました。
イスラム教では、「正しいことを行うのであれば、社会的な法律やルールを破っても構わない」という考え方は、育ちませんでした。それはこのような考え方が不要なほどイスラム教のルールは詳細にできているからです。
イスラム教の聖典はご存じの通りアラーの神が書いたコーランですが、それを補足するのが、スンナというマホメットが下した判断集です。さらにそれを補足するハーディスという文書もあります。
例えば、コーランには毎年一か月間断食をしなければならないと書かれています。この断食期間中の昼間は食事をしてはならないだけでなく、水を飲んでもいけないのです。ところが、妊婦・病人や戦闘を行っている兵士にそれを守らせると生命にかかわります。そのために、コーランより下位のルール集で、断食が除外される場合を規定しているのです。
このように細かく規定していても、規定にない事態が発生します。例えば、イスラム教徒の宇宙飛行士が宇宙空間にいる間も断食をまもらなければならないか、などです。こういうときに可否の判断をするのが、イスラム法学者なのです。
一般に信者は、「正しいことを行うのであれば、社会的な法律やルールを破っても構わないのではないか」と悩む必要がなかったのです。このようなわけで、イスラム教社会ではFreedomや誠に相当する考え方が生まれませんでした。
以下はひと続きのシリーズです。
9月24日 自分が正しいと思っているから、アメリカは戦争ばかりする
9月26日 南部は、北部の文化の押し売りを嫌がって、南北戦争を起こした
9月29日 アメリカ人の、「自分は正しい」という発想は根強い
10月13日 トランプは、共和党の中のネオコンと戦って大統領になった
10月15日 トランプは、「メリー・クリスマス」にこだわった
10月17日 トランプの「アメリカ・ファースト」はFreedom
10月22日 ユダヤ人のほとんどは、アメリカとイスラエルに住んでいる
10月24日 第二次大戦後にアメリカはイスラエルを特別扱いし始めた
10月27日 「聖書の予言は必ず実現する」とアメリカの福音派は思った
10月29日 8000万人のアメリカ人が最後の審判を信じている