支那人が重視する「宗族」は、何十代も前の男系の先祖を同じくする血縁集団で、そのメンバーは数千人に達する場合もあります。
支那の「宗族」と日本の「家」や「一族」はまるで違います。日本の場合、女性が結婚すると生まれ育ったそれまでの家を出て嫁ぎ先の家に入り、苗字も変わります。ところが支那では女性は結婚しても生まれた時の宗族から離れません。従って苗字も変わりません。支那人の夫婦異姓はこういう仕組みです。
日本の「家」では、跡継ぎの男子がいないと全く血のつながりのない子供を養子にすることがあります。実の息子がいても出来が悪かいなどの様々な事情から、外から養子を迎えることもあります。日本の家は、血脈を伝えることよりも家の存続を優先します。つまり、日本の家は厳密には血縁集団ではなく、「家業」を行う事業経営体なのです。
支那の「宗族」は、血縁関係にない子供を養子にすることは絶対になく、あくまで同じ宗族の子供の中から選びます。そして支那人は、同じ宗族のメンバーの間では徹底的に助け合いますが、宗族が異なるよそ者とは助け合わず、相手を利用しようとするだけです。
異なる宗族の者と助け合う必要があるときは、義兄弟になり宗族に準じる扱いをするのです。例えば、三国志の主人公である劉備玄徳、関羽と張飛はもともと赤の他人でしたが、意気投合して共に天下を平定しようとしました。そこで三人は義兄弟になって最後まで助け合うことを誓ったのです。
古代から支那大陸は、東夷・西戎・南蛮・北狄というように様々な異民族が入り乱れており、一山越えた隣の村の住民とは言葉が通じない、ということが当たり前でした。例えば、毛沢東の母親は隣村から毛沢東の父のところにお嫁に来たのですが、当初は互いに言葉が通じなかったそうです。
このように同質で互いに言葉が通じる地域社会が出来にくく、頼るのは宗族しかなかったのです。このために支那では、宗族が固まって村を作るケースが多くあります。水滸伝や孫悟空などの小説を読むと、「宋家村」とか「劉家村」などの村名が多く出てきて、その村の全員が同じ宗族なのです。
以下はひと続きのシリーズです。
9月24日 自分が正しいと思っているから、アメリカは戦争ばかりする
9月26日 南部は、北部の文化の押し売りを嫌がって、南北戦争を起こした
9月29日 アメリカ人の、「自分は正しい」という発想は根強い
10月13日 トランプは、共和党の中のネオコンと戦って大統領になった
10月15日 トランプは、「メリー・クリスマス」にこだわった
10月17日 トランプの「アメリカ・ファースト」はFreedom
10月22日 ユダヤ人のほとんどは、アメリカとイスラエルに住んでいる
10月24日 第二次大戦後にアメリカはイスラエルを特別扱いし始めた
10月27日 「聖書の予言は必ず実現する」とアメリカの福音派は思った
10月29日 8000万人のアメリカ人が最後の審判を信じている
コメント
宗族理論からすると三国志の劉備関羽張飛はどうなんだと言うのは長年の疑問でした。こうなると殆ど日本の家族企業体と変わらないのではないかと言う気がします。
三国志が日本人にも愛されるのはこのようなところにあるのかもしれません。
すると、中国人と日本人が全く分かり合えない訳でもないのではないかと思います。特に、SNSなどの発達でお互いの文化が身近になると、反発もあるが影響したり、融合することもあるかもしれません。
実際、かなり日本化した部分はあるとは言え、明治維新の原動力になったのは儒教倫理学であったのも確か。
現代中国では新儒教運動のような動きもあるようです。他文化を見ていくときは差異と同一性双方に目を向けるべきなのかなと思います。