ここで高橋是清が行った金本位制廃止について少し詳しく書きます。
19世紀末の主要国はみな金本位制を採用していました。各国の中央銀行が発行する紙幣を持っている人は誰でも、その紙幣を中央銀行に持ち込めば金塊と交換してくれたのです。各国の紙幣は金の価値によってその信用を維持していたわけです。日本は日清戦争後に清から得た賠償金を基にして金本位制を確立しました。
一般の国民は素直にお上が刷る紙幣を信用していて、実際に紙幣を金に交換しようとはしませんでした。問題は対外的な決済です。
貿易赤字が発生したために外国に支払わなければならなくなった時、その国の金準備高が少ないと相手国は紙幣を受け取ることを拒否し、金で支払いすることを要求してきます。金本位制の維持には、外国がその国の紙幣を信用してくれるだけの量の金を保有していなければなりません。
第1次世界大戦になって、欧州諸国は様々な物資を輸入したために、アメリカや日本などの外国に膨大な額の支払い義務が生じました。外国が金での支払いを要求してもそれができない状態になったので、金の輸出を禁止しました。即ち金本位制を廃止したのです。日本やアメリカもその時に金輸出を禁止し、金本位制を廃止しました。
第1次世界大戦が終わった後、欧米諸国は次々に金本位制を再開しました。日本は戦後慢性的な不況と関東大震災のために金本位制を再開できませんでした。国際連盟の常任理事国ともあろう日本が金本位制を復活できないことを、為政者たちは恥ずかしく思っていました。
当時、金本位制は優れた制度だと一般的に考えられていました。また日本だけが金本位制を採っておらず円の為替相場が不安定だったこともあり、金本位制再開論者の勢力は強かったのです。
金本位制廃止の期間
フランス 1915年 - 1928年
ドイツ 1915年 - 1924年
アメリカ 1916年 - 1919年
イギリス 1919年 - 1925年
以下はひと続きのシリーズです。
10月4日 穏やかなインフレになれば、経済は自然に良くなっていく
10月6日 プラザ合意で、為替を本当の変動相場制にすることにした
10月7日 日本には、お金じゃぶじゃぶ政策しか残されていなかった
10月8日 お金じゃぶじゃぶ政策は、欧米では当たり前の政策だった
10月9日 19世紀末から20世紀前半は、金本位制が優れた制度だと考えられていた
10月11日 高橋是清は、経済は集団心理で動く、と理解していた
10月12日 経済は集団心理で動くのに、経済学はそれを数字で説明しようとする
10月13日 経済活動は、その民族の伝統的な考え方に大きく影響されている
10月14日 『男子の本懐』はデフレを深刻にした金本位制復活がテーマ
10月15日 2014年の消費税値上げにより、アベノミクスがとん挫した
10月17日 白川日銀総裁は、頑なに「お金じゃぶじゃぶ政策」を拒否した
10月18日 日銀がお金じゃぶじゃぶ政策を採用しなかったのは、国民が「日本はもう経済成長しなくても良い」と考えたから
10月19日 20年以上日本経済が停滞したのは、大乗仏教が原因