「お金じゃぶじゃぶ政策(市中に出回るお金をどんどん増やして人々の心を変え、経済を活性化させる金融緩和)」を研究していたのがプリンストン大学のバーナンキ教授です。彼はその後FRBの議長になり、アメリカの金融政策の責任者になりました(2006年~2014年)。彼は在任中に起こったリーマンショックによる不況を(2008年)、「お金じゃぶじゃぶ政策」によって見事に乗り切りました。
前日銀副総裁で黒田総裁と一緒にアベノミクスを始めた岩田規久男先生(学習院大学経済学部名誉教授)は、1998年から2001年までプリンストン大学に留学しました。この大学には、バーナンキ、クルーグマンなど錚々たる経済学者が集まり「お金じゃぶじゃぶ政策」を研究していました。
1990年代の日本は不況が続いており、彼らにとってはアメリカの大恐慌以来の格好の実例だったので、日本を研究していました。特にポール・クルーグマン(2008年ノーベル経済学賞を受賞)は、日本の経済紙の英訳版を入手して夢中になって日本を研究していました。
クルーグマンは「お金じゃぶじゃぶ政策」が有効だと考えただけでなく、日銀は2~3%程度のインフレを目標として掲げ、その達成に努力すべきだとも主張しました。今のアベノミクスが、2%のインフレ目標を掲げているのも彼の学説から来ています。今や日銀だけでなく、35か国の中央銀行がインフレ目標を掲げています。
特にニュージーランドは1998年に消費者物価上昇率がマイナスになったので1~3%のインフレ目標を設定して「お金じゃぶじゃぶ政策」を実施し、2002年には目的を達成しています。
この時期の日銀総裁は速水優でしたが(1998年~2003年)、彼は「インフレ目標の設定は馬鹿げた政策で、社会主義国でやることだ」と頑固に主張し、デフレを一層深刻にしました。
昭和初期に起きた金融恐慌を、高橋是清(1854年~1936年)は「お金じゃぶじゃぶ政策」によって見事に克服しました。バーナンキ先生も彼の手腕を高く評価しています。ところが日銀は、彼を敗戦後の超インフレのきっかけを作った大蔵大臣だったとして、最低の評価をしています。
以下はひと続きのシリーズです。
10月4日 穏やかなインフレになれば、経済は自然に良くなっていく
10月6日 プラザ合意で、為替を本当の変動相場制にすることにした
10月7日 日本には、お金じゃぶじゃぶ政策しか残されていなかった
10月8日 お金じゃぶじゃぶ政策は、欧米では当たり前の政策だった
10月9日 19世紀末から20世紀前半は、金本位制が優れた制度だと考えられていた
10月11日 高橋是清は、経済は集団心理で動く、と理解していた
10月12日 経済は集団心理で動くのに、経済学はそれを数字で説明しようとする
10月13日 経済活動は、その民族の伝統的な考え方に大きく影響されている
10月14日 『男子の本懐』はデフレを深刻にした金本位制復活がテーマ
10月15日 2014年の消費税値上げにより、アベノミクスがとん挫した
10月17日 白川日銀総裁は、頑なに「お金じゃぶじゃぶ政策」を拒否した
10月18日 日銀がお金じゃぶじゃぶ政策を採用しなかったのは、国民が「日本はもう経済成長しなくても良い」と考えたから
10月19日 20年以上日本経済が停滞したのは、大乗仏教が原因