日本がもたもたと不況を脱出できないでいた20年の間に、欧米の中央銀行はお金じゃぶじゃぶ政策(市中に出回るお金をどんどん増やして人々の心を変え、経済を活性化させる金融緩和を、これからこのように呼びます)を大胆に行って、経済成長を実現させていました。
一国の経済を活性化させるには二つの方法があります。一つは財政政策で、これは政府が行います。減税や公共事業・補助金のばらまきなどによって国民の可処分所得を増やし、消費や設備投資を増やして生産活動を刺激する政策です。
もう一つが金融政策でこれは中央銀行が行います。これにはさらに二つのやり方があります。一つは政策金利(公定歩合)を引き下げて銀行貸出金利を引き下げ、企業や個人が借金によって設備投資や消費をやりやすくする方法です。もう一つがお金じゃぶじゃぶ政策です。
1985年9月に先進5カ国の財務大臣がニューヨークのプラザホテルで会議を行い、為替に関する取り決めをしました。いわゆるプラザのプラザ合意です。これは、貿易赤字に苦しむアメリカが日本と西ドイツを力で押さえつけ、無理やりにドル安・円高・マルク高にしたものと、一般的に理解されています。
たしかにそういう側面もあったでしょうが、為替を本当の変動相場制にしよう、ということを会議で決めたと理解すべきです。当時はまだ共産主義国家のソ連があって、世界は冷戦構造でした。アメリカは日本や西ドイツを自由主義陣営にひきつけておくために、日本や西ドイツが為替操作をして自国通貨安にしているのを大目に見ていました。
しかしソ連の力が弱まってきたので、アメリカは日本や西ドイツを以前ほど甘やかす必要がなくなりました。そこで為替操作を止めて経済の実力でレートを決めることにしたわけです。その結果、プラザ合意の2年後に1ドルが120円という本来の交換レートになりました。
以下はひと続きのシリーズです。
10月4日 穏やかなインフレになれば、経済は自然に良くなっていく
10月6日 プラザ合意で、為替を本当の変動相場制にすることにした
10月7日 日本には、お金じゃぶじゃぶ政策しか残されていなかった
10月8日 お金じゃぶじゃぶ政策は、欧米では当たり前の政策だった
10月9日 19世紀末から20世紀前半は、金本位制が優れた制度だと考えられていた
10月11日 高橋是清は、経済は集団心理で動く、と理解していた
10月12日 経済は集団心理で動くのに、経済学はそれを数字で説明しようとする
10月13日 経済活動は、その民族の伝統的な考え方に大きく影響されている
10月14日 『男子の本懐』はデフレを深刻にした金本位制復活がテーマ
10月15日 2014年の消費税値上げにより、アベノミクスがとん挫した
10月17日 白川日銀総裁は、頑なに「お金じゃぶじゃぶ政策」を拒否した
10月18日 日銀がお金じゃぶじゃぶ政策を採用しなかったのは、国民が「日本はもう経済成長しなくても良い」と考えたから
10月19日 20年以上日本経済が停滞したのは、大乗仏教が原因