昭和初期の金本位制復活(金解禁)は、実施してすぐに失敗だったということが分かり、2年足らずで撤回しました。この時の日本の為政者たちは、当時の経済理論を盲信せず現実を見て対応する柔軟さを持ち合わせていたわけです。
昔ながらの経済理論に固執し20年以上デフレを放置していた現在の為政者は、昔と比べてかなり劣化していると思わざるを得ません。
高橋是清は、幕末に14歳でアメリカに英語を勉強しに行っただけあって、語学に堪能でした。また大蔵省の役人や日銀の副総裁などをやっていたので、金融の実務をよく知っていました。そこで政府は、日露戦争の直前に彼をイギリスとアメリカに派遣し、外国で日本の国債を発行させ戦費を調達しようとしました。
当時、誰も日本がロシアとの戦争に勝つとは思いませんでした。日本が戦争に負けたら国は破産して、国債など紙屑になってしまいます。そこで欧米の銀行は、日本の国債を扱おうとはしませんでした。
是清は辛抱強く彼らと交際し、彼自身に対する信頼を高め、ひいては日本に対する信頼を高めていきました。その結果、彼は8億円の外債発行に成功しました。日露戦争に要した戦費がおよそ20億円、当時の日本のGDPが30億円ですから、是清が集めた8億円は今の感覚で言えば、140兆円ぐらいになります。この功績で彼は子爵になりました。
是清が書いた自伝を読むと、彼は世の中を個人であろうと国家であろうと、単純な損得計算ではなく、人間どうしの信頼関係のほうを重視していました。例えば、彼は詐欺事件に巻き込まれて大蔵省を退職し、個人財産もすべて失ったことがあります。その後、大蔵省に再就職したらどうかと人に薦められた時に、「食うに困って就職すれば、たとえ間違ったことをするように命令されても言うことを聞かざるを得ない」として、役人になることを拒否しました。
是清は、経済を人間関係・集団心理によって動くと理解していたので、金本位制復帰によって起きた金融恐慌をも、集団心理の面から考えることができました。お金をじゃぶじゃぶにしたら集団心理が変わり経済は好転する、と見抜いたのです。
以下はひと続きのシリーズです。
10月4日 穏やかなインフレになれば、経済は自然に良くなっていく
10月6日 プラザ合意で、為替を本当の変動相場制にすることにした
10月7日 日本には、お金じゃぶじゃぶ政策しか残されていなかった
10月8日 お金じゃぶじゃぶ政策は、欧米では当たり前の政策だった
10月9日 19世紀末から20世紀前半は、金本位制が優れた制度だと考えられていた
10月11日 高橋是清は、経済は集団心理で動く、と理解していた
10月12日 経済は集団心理で動くのに、経済学はそれを数字で説明しようとする
10月13日 経済活動は、その民族の伝統的な考え方に大きく影響されている
10月14日 『男子の本懐』はデフレを深刻にした金本位制復活がテーマ
10月15日 2014年の消費税値上げにより、アベノミクスがとん挫した
10月17日 白川日銀総裁は、頑なに「お金じゃぶじゃぶ政策」を拒否した
10月18日 日銀がお金じゃぶじゃぶ政策を採用しなかったのは、国民が「日本はもう経済成長しなくても良い」と考えたから
10月19日 20年以上日本経済が停滞したのは、大乗仏教が原因