日本商工会議所(東京商法会議所)は、明治10年の設立当初はビッグビジネスの経営者の集まりでした。しかし次第に中小企業の経営者の集まりになっていったので、戦後新たに一部上場企業を会員とした経済団体連合会(経団連)が作られました。
経団連は、日本政府の経済政策に対して財界から提言をするために作られました。だから経団連の会長は、「財界総理」と呼ばれています。経団連のホームページでもその設立趣旨を、「経済界が直面する内外の広範な重要課題について、経済界の意見を取りまとめ、着実かつ迅速な実現を働きかけています」と書かれています。
歴代の会長は、土光敏夫(石川島造船社長から東芝会長に転身)、稲山嘉寛(新日鉄会長)など、企業の枠を超えて日本の産業全体を考える人材が就任していました。
特に土光(どこう)は、大企業の経営者であるにもかかわらず晩飯のおかずは「メザシの干物」で、余った私財は学校に寄付していました。道理に合わない話を聞くと激怒したために、「怒号」というあだながついていました。
ところが最近の経団連は、凋落しているようです。2017年11月に、経団連などの財界が企画した財界合同訪中団に250人の経営者が参加し、北京を訪問して李克強首相と面会しました。
経団連の活動目的から考えれば、日本と支那との間の経済的懸案事項を討議し、支那の考えをまとめ、日本の経済界の提言を日本政府に報告するはずです。
日支間の最大懸案事項は、日本企業の支那からの撤退問題です。支那人労働者の賃金が上昇したために、現地に進出した現地工場の採算が合わなくなっています。また現地政府から技術移転を強要されるので、日本企業は撤退をしようとしています。
日本企業が撤退を検討し始めると、現地政府が税金を請求したり、解雇される労働者に法外な退職金を払うように要求するなど、さまざまな嫌がらせをしてくるのです。他にも、日本企業の技術を盗みに来るとか、現地で働く社員が突然逮捕されるとか、懸案事項はいくらでもあります。
ところが、この訪中団はこのような懸案事項を支那側とまともに討議しようとしませんでした。
以下はひと続きのシリーズです。
9月8日 渋沢栄一は、損得勘定だけで世の中を考えてはならない、と考えていた
9月9日 西郷隆盛は、もっと戦をしなくてはならない、と言っていた
9月10日 欧米を見聞した維新当時の指導者は、征韓論に反対した
9月13日 今の日本人は、経済的自由主義を正確に理解していない
9月15日 欧米のFreedomには、保護し教育するために強制する、という考えが含まれている
9月16日 明治時代の官営事業は、経済的自由主義に基づいている
9月17日 自由主義は、弱者と強者を同じ土俵で競争させるという考え方ではない
9月18日 ちゃんとした大人は好きなことをやって良い、というのが自由主義
9月20日 Freedomは昔から日本にあり、誠と呼ばれていた
9月21日 経営者団体の目的は、経済活動に関して政府に提言すること