昨年11月に、財界合同訪中団(経団連、日本商工会議所、日中経済協会の共催で、250人の経営者が参加)が、支那を訪問し政府の要人たちと会談をしました。私は彼らの行動を見て、「日本の経営者は、どんどん劣化しているのではないか」と思いました。
そして「もしも渋沢栄一が経団連会長だったら、どうするだろうか?」と考えてしまいました。渋沢栄一(1840年~1931年)は、「日本資本主義の父」といわれた人物で、今でいえば経団連会長のような立場にいた人物です。
私は経済学という学問をあまり信用しないのですが、昨年の財界合同訪中団のことを考えると、経済的なことを書きたくなりました。そのために、改めて経済学の本を何冊か読み直してもみました。
私が経済学にあまり信用しないのは、経済学の守備範囲が狭いからです。経済学は政府の活動を対象から除外し、民間の経済活動だけを対象にしています。ケインズ派の経済学は不況期の公共投資の必要性を強調していますが、景気対策という限られた分野の政府活動のみを対象にしているだけで、政府の活動全般を対象にしているわけではありません。
アメリカの軍事費は年間約70兆円でGDPの4%であり、国家予算の20%を占めます。支那の軍事予算は表面上25兆円程度で、あの国力からしたら相当無理をしています。日本の防衛費が年間5兆円でGDPの1%ですから、アメリカや支那の軍事費がいかにとんでもない数字か分かります。しかしこの莫大な支出を、経済学は考察の対象にしていません。
アメリカも支那も自国を防衛するためだけであれば、こんなに巨額の出費は不要です。両国とも防衛以外の、「古代ローマ帝国のような強いアメリカであってほしい」「中華帝国の再興」などという金銭以外の欲望によって、費用が増えてしまったのです。
もちろん最先端の軍事技術が民生品に活用されて国の経済が発展するとか、不況時に戦争をするというのは一種の公共事業だ、という経済的な側面はあります。
しかし、軍事力には民族のプライドとか、戦争に負けた時の悲惨な状況に対する恐怖など、金銭や数字に置き換えることができない要素があり、その部分は経済学の考察対象から外されています。
以下はひと続きのシリーズです。
9月8日 渋沢栄一は、損得勘定だけで世の中を考えてはならない、と考えていた
9月9日 西郷隆盛は、もっと戦をしなくてはならない、と言っていた
9月10日 欧米を見聞した維新当時の指導者は、征韓論に反対した
9月13日 今の日本人は、経済的自由主義を正確に理解していない
9月15日 欧米のFreedomには、保護し教育するために強制する、という考えが含まれている
9月16日 明治時代の官営事業は、経済的自由主義に基づいている
9月17日 自由主義は、弱者と強者を同じ土俵で競争させるという考え方ではない
9月18日 ちゃんとした大人は好きなことをやって良い、というのが自由主義
9月20日 Freedomは昔から日本にあり、誠と呼ばれていた
9月21日 経営者団体の目的は、経済活動に関して政府に提言すること