他人を侵害するようなことがないような個人的領域には政府は干渉してはならない、というのが自由主義の大原則です。但しこの原則は、判断能力が成熟した者だけに適用され、子供には適用されません。
例えば登山の場合に、山の天気が怪しくなって嵐になりそうになったら、山の監視員は大人の登山者に対しては、これから嵐になるかもしれないと警告するだけに留め、それでも登山をしたいと言う者には、そのまま行かせるでしょう。自分で物事を判断できる大人だからです。
しかし小学生が大人の付添なしに登山しようとすれば、それを止めさせるはずです。子供には十分な判断力がないので、社会はその子供の行動に介入してでも保護してやらなくてはならないからです。子供だけでなく認知症の老人や病人に対しても、本人の意思に反しても強制して保護してやらなくてはなりません。
十分な判断能力がない者に自由を認めず強制してでも保護してやるという考え方は、自由主義に反するわけではありません。このような強制を「積極的な自由」と呼んでいます。自由主義というには、判断能力がある者とない者で対処が違うのです。
ジョン・スチュアート・ミルは、『On Liberty(自由論)』の中で、社会が十分に発達していない遅れた民族も子供と同じだから、彼らに強制してでも保護してやらなければならない、と主張しています。子供や遅れた民族が進歩しようとする時にぶつかる困難は大きいので、支配者は他に手段がなければ、どのような手段を使っても正当だ、とまで彼は言っています。
ミルの考え方は、欧米人の常識でした。アメリカの白人はこの考え方に基づいて黒人を奴隷にし、無理やりに働かせて怠け癖を強制し、進歩させてやろうという建前をとりました。欧米列強がアジア・アフリカ諸国に不平等条約を強制したり植民地にしたりしたのも、同じ理由です。遅れた社会しか作れない民族に強制して文明化させてやろうということでした。
日本人は自由を「思うがままに振る舞うこと」と理解していて、「遅れた者を教育してやろう」などという考えが含まれているとは思っていません。欧米人のFreedomと日本人の自由は、意味が違うのです。
以下はひと続きのシリーズです。
9月8日 渋沢栄一は、損得勘定だけで世の中を考えてはならない、と考えていた
9月9日 西郷隆盛は、もっと戦をしなくてはならない、と言っていた
9月10日 欧米を見聞した維新当時の指導者は、征韓論に反対した
9月13日 今の日本人は、経済的自由主義を正確に理解していない
9月15日 欧米のFreedomには、保護し教育するために強制する、という考えが含まれている
9月16日 明治時代の官営事業は、経済的自由主義に基づいている
9月17日 自由主義は、弱者と強者を同じ土俵で競争させるという考え方ではない
9月18日 ちゃんとした大人は好きなことをやって良い、というのが自由主義
9月20日 Freedomは昔から日本にあり、誠と呼ばれていた
9月21日 経営者団体の目的は、経済活動に関して政府に提言すること