欧米人は、キリスト教社会でしかFreedom(自由)は成立しないと考えていました。これに対して日本人は、Freedomと同じ考え方は昔から日本にあった、と考えました。明治7年に出された太政官政府の公文書は、「国語にてこれを云えば随神(かんながら)なり。洋語にてこれを云えば即ち自由(フレイ)の理なり」とはっきり書いています。
「随神」というのは神道の言葉で、「神様に対して心を開けば、神様と同じ心になれる。そうなったら他人に対して誠を行うことができる」という意味であり、「誠」と同じ意味です。キリスト教の信仰から生まれたFreedomは、「イエス・キリストを信じれば、神様と同じ心になれる。そうなったら他人に誠実になり助け合うことができる」という意味です。
たしかに、Freedomと随神(誠)は同じ意味です。大日本帝国憲法にも同様の趣旨のことが書かれています。大日本帝国憲法が制定された時に、明治天皇は先祖の神々(皇祖皇宗)に向かって告文(つげふみ)を読み上げられ、憲法が制定されたことを報告されています。その一部を下記に紹介します。
「この憲法は、皇祖皇宗が子孫に残した統治に関する教えを具体的な形にしたものに他ならない(此レ皆皇祖皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス)」
大日本帝国憲法が規定しているもっとも重要な原理は、天皇陛下が日本を統治されるということ、及び自由と平等の権利を国民に保障すること、の二つです。この二つの基本原理は日本に昔からあった、と明治天皇は宣言されているわけです。
明治政府の富国強兵政策(すなわち経済的自由主義)が成功して日本が近代国家になれたのは、日本にFreedom(すなわち誠)の考えがあったからです。
明治初期にFreedomを日本人はきちんと理解していましたが、後には次第にその意味を誤解するようになってきました。それはFreedomの訳語に使った自由と言う言葉が仏教用語だったためです。
仏教は出家した僧侶のための教えなので、その教義は現世を蔑んで、世間から離脱した状態を理想としています。そのためにどうしても「浮世離れ」した考え方になっています。Freedomを浮世離れした世捨て人の感覚で解釈するようになってしまったのです。
以下はひと続きのシリーズです。
9月8日 渋沢栄一は、損得勘定だけで世の中を考えてはならない、と考えていた
9月9日 西郷隆盛は、もっと戦をしなくてはならない、と言っていた
9月10日 欧米を見聞した維新当時の指導者は、征韓論に反対した
9月13日 今の日本人は、経済的自由主義を正確に理解していない
9月15日 欧米のFreedomには、保護し教育するために強制する、という考えが含まれている
9月16日 明治時代の官営事業は、経済的自由主義に基づいている
9月17日 自由主義は、弱者と強者を同じ土俵で競争させるという考え方ではない
9月18日 ちゃんとした大人は好きなことをやって良い、というのが自由主義
9月20日 Freedomは昔から日本にあり、誠と呼ばれていた
9月21日 経営者団体の目的は、経済活動に関して政府に提言すること