明治政府は、国家を運営していく基本政策として経済的自由主義を採用しました。そしてFreedom(自由)の考え方を日本語で言えば随神(かんながら)になるとして、日本に昔からあったものだとも説明しています。
みなさんもご存じのように、明治政府は富国強兵に邁進しました。その一方で国家の経済政策の基本は経済的自由主義だと政府自身が説明しているので、富国強兵とは経済的自由主義の実践だということになります。
今の日本人の多くは、経済的自由主義を「自由放任」とか「神の見えざる手」などという言葉と結びつけて理解しています。「政府は何もしないのが良く、各人が自分の利益を追求すれば、神様の働きで社会は理想的に発展する」という説だと理解しています。
それに対して明治政府は、何もしないどころか、日本を豊かな国にしようとしてあらゆることをやりました。富岡製糸工場や八幡製鉄所などの国営企業を、税金を投入して設立し、後にそれを投入した金額よりもはるかに安い金額で民間に払い下げました。いわゆる官営事業の払い下げです。政府は経済活動に関して、おせっかいすぎるほど介入していました。
従って多くの日本人は、経済的自由主義と富国強兵政策とは全く相いれないものだと理解しています。明治政府は富国強兵が経済的自由主義の実践だと主張し、今の日本人の多くは両者は別物だと理解しています。どちらが正しいのでしょうか。
幕末から明治維新にかけての日本人は、西欧に関する知識がほとんどありませんでした。日本人は欧米に関して先入観を持ってはいましたが、Freedomという考え方そのものについては聞いたことも考えたこともなく、先入観も持っていませんでした。
幕末から明治維新にかけて、多くの秀才が西欧に留学に行きました。彼らもFreedomなど西欧文明の根幹に存在する考え方に先入観などもっていませんでした。そこで白紙の状態からFreedomを学びました。そして秀才らしくその意味を正確に理解しました。
後の日本人はFreedomの意味を誤解するようになりましたが、それはFreedomに自由という訳語を当てはめてしまったからです。Freedomはキリスト教の信仰から生まれた言葉ですが自由は仏教用語で、二つの宗教の発想が全く違うのです。Freedomの意味を誤解しているので、その考えの経済への応用である経済的自由主義をも誤解するのです。
以下はひと続きのシリーズです。
9月8日 渋沢栄一は、損得勘定だけで世の中を考えてはならない、と考えていた
9月9日 西郷隆盛は、もっと戦をしなくてはならない、と言っていた
9月10日 欧米を見聞した維新当時の指導者は、征韓論に反対した
9月13日 今の日本人は、経済的自由主義を正確に理解していない
9月15日 欧米のFreedomには、保護し教育するために強制する、という考えが含まれている
9月16日 明治時代の官営事業は、経済的自由主義に基づいている
9月17日 自由主義は、弱者と強者を同じ土俵で競争させるという考え方ではない
9月18日 ちゃんとした大人は好きなことをやって良い、というのが自由主義
9月20日 Freedomは昔から日本にあり、誠と呼ばれていた
9月21日 経営者団体の目的は、経済活動に関して政府に提言すること