「なぜ自分たちはこれほど弱かったのか」、とまじめに研究した朝鮮人の学者はいないようです。憲政史学者の倉山満氏は、朝鮮の教科書では下記のように「自分たちは日本に勝った」と書かれている、と紹介しています。
倭乱(朝鮮出兵のこと)でわれわれが勝利をおさめることができたのは、わが民族がもっていた潜在的力量が優れていたためである。官軍次元での国防能力は日本に劣っていたが、全国民的次元の国防能力は日本を凌駕した。わが民族は身分の貴賤や男女老若を問わず、文化的な優越感に満たされて自発的な戦闘意識を持っていた『韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書』。
戦争になりそうになったら、敵の兵力・国力・地形・兵站などを調べて戦略を立てるのが普通です。ところがこの点で朝鮮は非常にユニークです。出兵の2年前に、正使の黄允吉と副使の金誠一が日本にやってきて秀吉に会っています。
この時に二人は、秀吉の顔をじっと観察して彼の心中を推察しました。正使は「秀吉は危ないから気を付けろ」と報告し、副使は「彼は小物だから放っておいても大丈夫だ」と言いました。
正使の黄允吉は西人派で、副使の金誠一は東人派です。二人は対立する派閥に属していて、当時朝鮮の宮廷では東人派が優勢だったので、副使の意見が全面的に採用されました。日本の兵力とか、それぞれの大名の政治的な影響力などという情報を検討して戦略を立てた形跡が一切ないのです。そして、朝鮮は日本軍の侵攻に何の備えもしませんでした。
当時の朝鮮の国教である朱子学という儒教には、「格物致知」という考え方があります。対象物をじっと見つめて抽象的な思索を巡らせれば、その対象物の本質が分かるという考え方です。朝鮮人の二つの使者は、秀吉をじっと観察し、その本質を見極めようとしました。要するに、この二人の朝鮮の教養人は、抽象的な思考によって現状を把握したと思い込み、具体的な事実を分析するということを一切しなかったのです。
朝鮮人学者の研究書を読んだ東洋史学者の宮脇淳子博士は、「朝鮮史は本当に難しい。歴史的文献にまっとうなことは何一つ書かれておらず、読んでそのままわかるというものが何もない。言いわけとウソとこじつけで正当化した文章しか残っていない。それらを読みながら、ここはウソで、こちらが正しいなどと判断しなければならない」と書いています。