唐(618年~907年)が衰退した時、日本は遣唐使の派遣を無駄だからと中止した(894年)だけで済みました。しかし新羅の場合は、支配層のそれぞれが唐の高官と人間関係でつながっていたので、唐の政治闘争がそのまま新羅に持ち込まれて内乱状態になりました。その結果、かつての百済や高句麗の地域は独立してしまったのです。
後高句麗 894年 ~ 918年
新羅 ~ 935年
後百済 892年 ~ 936年
この内乱を平定したのが後高句麗の重臣だった王建です。彼は後高句麗を乗っ取って高麗を建国しました。その後新羅王から王位を禅譲され、翌年には後百済を滅ぼして、朝鮮を統一しました。
新羅は韓人が作った国家で、領土も韓人が住んでいる朝鮮の南半分だけでした。一方の高麗は北朝鮮から起こって南部に進出したため、北朝鮮の一部と南朝鮮を領土にしていました。もっとも高麗が元に服属した時に、北朝鮮の領土が取り上げられてしまい、朝鮮南部だけに縮まってしまいました。
高麗が半島を統一する前の内乱期に、後百済は最後まで抵抗したために、後百済人は奴隷にされてしまいました。さらに王建は遺訓を残して、後百済人の差別を固定化しました。「旧百済の地形は反逆の様相があり、人心も然り。彼の地域の人を朝廷に参画させたり、王侯と結婚させたりすれば、国政が乗っ取られ、反乱に及ぶ」。
高麗の建国者が行った差別は、今でも続いています。1950年前後の朝鮮戦争の時期に、南朝鮮の政府は軍隊を動員して旧百済地域の住民を弾圧し、6万人を殺しました。そこから日本に逃げてきて不法滞在者となった者たちの子孫が今の在日朝鮮人の多くを占めています。1980年にも旧百済にある光州市で民主化を求める暴動が起きました。政府はデモ隊に発砲して、死者が2000人ぐらい出ました。また、全羅道(旧百済)出身の大統領は、金大中だけです。
なぜここまで、朝鮮人が人を差別したがるのか、その本当の理由は私にも良く分かりません。日常的に支那人に差別されていると、自分も人を差別したくなるということかもしれません。いずれにしても朝鮮人は差別意識が非常に旺盛です。