新羅が朝鮮を統一してから22年後の698年に、高句麗の遺民である女真人と沿海州にいた靺鞨(かつまつ)人が連合して、渤海国を建国しました。女真人も靺鞨人も共にツングース系なので、両者は言語的・文化的に近い関係にあります。
渤海国(698年~926年)は、唐の脅威に対抗するために日本に接近し、34回も日本に朝貢しています。新羅も自国の安全保障のために渤海国に接近しました。
新羅は日本にも気を使っています。日本は任那(朝鮮南岸にあった日本領)を少しずつ百済に割譲しました。また新羅も任那を少しづつ略取したので、最終的には任那は消滅してしまいました。しかし百済も新羅も任那が日本に納めていた税金を、代わりに日本に納めていました(任那の調)。百済を滅ぼした後の新羅も、任那の調を日本に払い続けていたのです。
奈良時代の735年(白村江の戦いの72年後)、新羅は日本の許可を得ずに勝手に国号を「王城国」に変えました。これを知った聖武天皇が大いに怒ったので、新羅は新しい国号を撤回しました。
朝鮮半島の面積は、日本の半分ぐらいです。新羅はそのまた半分強と狭いうえに土地は貧しく、雑多な民族の寄り合い所帯なので、そもそも自立ができません。新羅は最初から自立する気がありませんでした。
自ら支那の属国になって保護してもらう戦略を採り、支那文化を大々的に取り入れました。そして、支那の属国という立場を維持しながら、その範囲で他の強国とも良好な関係を保とうとしたのです。
ところが朝鮮が受け入れた儒教は、異民族を極端に軽蔑します。この考えに染まった朝鮮人は、周辺の大国(北方騎馬民族国家や日本)の実力を冷静に分析するという態度を失い、事大主義という硬直したドグマ(教義)に固執するようになっていきました。
事大主義という、主体性がなく、その時々の状況の変化に振り回され、周辺国をも混乱状態に巻き込む愚かな政策を始めたのが新羅なのです。
コメント
市川先生
お世話になります。私の読解力が乏しいばかりにブログ内容の意味についておしえていただけると助かります。
「ところが朝鮮が受け入れた儒教は、異民族を極端に軽蔑します。この考えに染まった朝鮮人は、周辺の大国(北方騎馬民族国家や日本)の実力を冷静に分析するという態度を失い、事大主義という硬直したドグマ(教義)に固執するようになっていきました。」
→ここで述べている朝鮮とは李氏朝鮮のことを指すことは百も承知ですが、李朝についての記述なら誤りではないと思いますが、李朝以前の新羅、高麗時代も指すなら正確ではないと思います。
新羅、高麗時代も儒教を受け入れたこと自体は間違いではないと思いますが、この時代の国教は仏教でした。唐羅戦争からモンゴルの高麗侵攻までは、「周辺の大国(北方騎馬民族国家や日本)の実力を冷静に分析」し事大先を柔軟(無節操)に代えていました。
「事大主義という、主体性がなく、その時々の状況の変化に振り回され、周辺国をも混乱状態に巻き込む愚かな政策を始めたのが新羅なのです。」
→新羅は唐の援助で朝鮮半島南部を統一しましたが、高句麗滅亡後、朝鮮半島全体の支配を目指す唐と対立して戦争もしています。(唐羅戦争)
唐と関係が改善したのは共通の敵である震国(のち渤海)が独立してからです。
また、『高麗史』によると高麗時代初期は天授という独自の元号を使用したり、10世紀末から12世紀初頭までなら宋と遼(契丹)に二重臣従しています。また、10世紀末から5回遼(契丹)と遼への臣従要求や渤海の故地支配をめぐって戦争しています。
おそらく主体なく(?)中国歴代王朝の属国になったのはモンゴルの高麗支配からだと思います。
失礼な表現で気分を害されましたらお詫び申し上げます。
確かにご指摘の通り、高麗時代と李氏朝鮮を私は一緒くたにしてしまったようです。「高麗は仏教を国教にした」とよく言われていますが、私は疑問に思っています。唐末には仏教は急激に衰退しました。宋になると仏教は禅宗だけで、儒教が本格的に復活してきました。そういう時に属国の高麗が仏教を国教にするというのは変だと思いませんか?私が大学院で仏教を学んでいた時、高麗の仏教を研究していた院生がいましたが、彼は「国教というほど高麗では仏教は盛んではなかった」と言っていました。
高麗の時代は、国際環境が朝鮮に有利でしたらから、自主的に動けたと思います。お説はその通りだと思います。しかし唐は超大国で周囲に対抗できるような国はなかったでしょう。だから新羅は唐の顔色をうかがいながら、自主性を発揮していたのだと思います。
ご指摘のように、新羅・高麗・李氏朝鮮の支那に対する態度はそれぞれ違うようです。新羅は唐が超大国だと分かっていたが、それ以前の三国時代の自由な気分が残っていて、唐に形ばかりの反抗はした、という感じですね。高麗の前半時代は外圧が弱かった。李氏朝鮮の時には事大主義の伝統がすっかり出来上がっていた、というような感じがします。