元軍の兵士となって日本に攻めてきた朝鮮人たちは、対馬や壱岐で日本人を大虐殺し、子供を奴隷として持ち去りました。生き残った日本人が復讐のために行ったのが、倭寇なのです。このような倭寇が生まれた理由を、日本人はちゃんと理解すべきです。
一方の朝鮮では、とんでもないことが起きていました。元の使臣が「高麗に駐在する元の役人や軍人に女を献上せよ」と、高麗に命じました。忠烈王は全国に官吏を派遣して、美女を強制的に徴発しました。また、処女を確保するために、12歳以下の少女が結婚することを禁止しました。
国家が無理やりに外国兵に女を世話したわけで、正真正銘の「従軍慰安婦」事件です。朝鮮人はここまでやった実績があるので、日本人が同じようなことをやったというデマを飛ばしても、日本人や世界中が信用するだろうと考えたわけです。
さて、1368年朱元璋が金陵(南京)を首都とする明王朝を作り、北京の元と対立しました。その時の高麗王は元をひいきにしていて、将軍の李成桂(1335年~1408年)に明を攻撃するように命じました。代々の高麗王の母親や妻がモンゴル人で、元の帝室の家族になっているので、元をひいきにするのも当然です。
李成桂は軍を率いて国境を流れる鴨緑江の河口に到着したのですが、どう考えても明と戦っても勝ち目はなかったので、高麗の首都に引き返してクーデターを起こし、高麗王の首をすげ替えました。
1392年、李成桂は高麗の恭譲王から王位を簒奪し、高麗王を名乗って、明の皇帝(朱元璋)に使者を派遣しました。明の皇帝は、「新しい王朝を立てたのに国名を変えないのはおかしいではないか」と指摘しました。
そこで李成桂は「朝鮮」と「和寧」の二案を作って明の皇帝に提示し、朱元璋は朝鮮を選びました。朝鮮は国名でさえも、宗主国の明から与えられたのです。これが「李氏朝鮮」の誕生です。
もし李成桂が支那の歴史や文化に詳しい朝鮮人だったら、高麗王を廃位させた段階で王朝の名前を変えたはずです。このことから、李成桂自身もその取り巻きも、儒教の知識などない女真人だったということが分かります。