刑事事件を起こした犯人の人権は守られるが、被害者やその遺族の人権はまるで考慮されない、ということがよくあります。このために平成16年に「犯罪被害者等基本法」が制定されました。
国や地方自治体が、経済的援助や福祉サービスを提供し、加害者のお礼参りなどを防止し、さらに必要な情報を被害者に提供するように定められています。この法律ができたことで、被害者が裁判に関与できる道が開けました。それまでは被害者や遺族は裁判を傍聴するだけで、加害者に対して質問もできなかったのです。
さらに第20条で、国民に向かって「被害者の名誉が守られ、平穏な生活が送れるようにしてちょうだい」と注文をつけています。法律が国民に向かって「被害者の生活を守れ」とわざわざ要請しているわけで、被害者に対して情けないことをする国民が多いという事実を、物語っています。
この法律ができたのにもかかわらずいまだテレビでは、被害者に対する配慮を欠いた報道が目立ちます。裁判の報道では、被告については「人権を考慮」して匿名にしているのに、被害者やその遺族は実名を出し、顔を大写しにしてマイクを向け無理やりに何か言わせようとしていることを、よく見ます。明らかに被害者より加害者に対して多大な配慮をしています。
検察官は法務省の役人なので、国家権力の一端を担っている権力者と考えることができます。マスコミ関係者には、大乗仏教の発想に染まり「国家は悪いことをする」と思い込んでいる者が多くいます。そこで彼らからすると、刑事裁判で検察官から罪を追及されている被告は、国家権力から圧迫を受けている被害者だ、ということになります。
日本国憲法の33~38条は、刑事事件の被告に残酷な扱いをしてはならないということを規定していますが、これは欧米の「権力者は法律を破るから法的手続きを厳格に守らなければならない」という発想で作られたものです。
この規定を日本のマスコミは、権力者ではなく国家が悪いことをする、と読み替えてしまいました。そして「刑事事件の被告は国家からいじめられている者なので、優しくしてやらなくてはならない」と考えるのです。
以下はひと続きのシリーズです。
11月20日 若いときに出家するという習慣は、仏教から始まった
11月22日 出家は、もともとは家も友人も持たない厳しいもの
11月24日 今の日本の社会問題の多くは、神道と仏教の使い分け原則が崩れたことに原因がある
11月25日 FreedomとEqualityの訳語に仏教用語を使ったために、使い分けの伝統が崩れた
11月26日 神道と仏教との使い分けが崩れたために、「国家は悪いことをする」という考えが広まった
11月27日 仏教は、無理してものを捨てなくても良い、と教義を次第に甘くしていった
11月28日 仏教は、欲望を抑えきれない凡人が戦争を起こす、と考える
11月29日 権力を監視するのが憲法の役割、という考え方をマスコミは悪用した
12月1日 欧米には、国家を監視しなければならない、という発想がある
12月2日 欧米人が考えていたのは、「国家は悪いことをする」ではなく、「権力者は悪いことをする」
12月3日 マスコミは、「国家は悪いことをする」と思い込んでいる
12月4日 マスコミが権力を監視することは非合法であり、不要である
12月5日 地下鉄サリン事件やテロ事件によって、テロ等準備罪の必要性が高まった
12月6日 「国家は悪いことをする」と思い込んだ者たちは、テロ等準備罪に反対した
12月7日 「国家は悪いことをする」という発想が「安倍政治を許さない」を生んだ
12月8日 「国家は悪いことをする」と思い込んでいる者も、一種の愛国者