小室直樹先生は、どういう理屈で「憲法の役割は権力を監視することだ」と言い出したのか、を調べようとして手元にある『日本人のための憲法原論』を読み直しました。この本は2006年に出版されたもので、小室先生の最晩年の著書です。
この本で小室先生は最初に、「刑法は誰のために書かれた法律か?」「銀行法は誰のために書かれた法律か?」という質問を読者にします。つまり、誰が刑法や銀行法に違反することができるか、ということです。
銀行法は銀行の業務について定めた法律なので、違反できるのは銀行だけです。銀行に預金をしている者や金を借りている者は、銀行法違反で訴えられることはありません。
刑法の規定を読んでも「人を殺してはいけない」とか「他人のものを盗んではいけない」とは書いていません。例えば刑法199条は「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する」と書かれており、239条は「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役に処する」となっています。犯罪者は刑法に違反することはできず、刑法は国民向けに書かれた法律ではありません。
実は刑法に違反することが出来るのは裁判官だけです。窃盗犯へは10年以下の懲役しか課してはならないので、スーパーで万引きをした窃盗犯に死刑を宣告した裁判官は刑法に違反しています。
小室先生はこのように議論を展開していって、「憲法に違反することが出来るのは国家権力だけだ」という結論を引き出しています。憲法で国民に言論の自由が保障されていますが、親が反抗する子供に対して、「うるさい、黙れ」と怒鳴っても憲法違反にはなりません。国会の前を行進しているデモ隊に対して、国家権力の一端である警察が「うるさい、黙れ」と言ってはじめて憲法違反になるのです。
個人が他人を不平等に扱ったとしても憲法違反になるはずがありません。素敵な女性にプロポーズした男性が二人出てきた時、彼女はどちらかを選ばなければなりません。一人を選んだ彼女は不平等な扱いをしたのですが、誰も彼女を憲法違反として非難しません。
以下はひと続きのシリーズです。
11月20日 若いときに出家するという習慣は、仏教から始まった
11月22日 出家は、もともとは家も友人も持たない厳しいもの
11月24日 今の日本の社会問題の多くは、神道と仏教の使い分け原則が崩れたことに原因がある
11月25日 FreedomとEqualityの訳語に仏教用語を使ったために、使い分けの伝統が崩れた
11月26日 神道と仏教との使い分けが崩れたために、「国家は悪いことをする」という考えが広まった
11月27日 仏教は、無理してものを捨てなくても良い、と教義を次第に甘くしていった
11月28日 仏教は、欲望を抑えきれない凡人が戦争を起こす、と考える
11月29日 権力を監視するのが憲法の役割、という考え方をマスコミは悪用した
12月1日 欧米には、国家を監視しなければならない、という発想がある
12月2日 欧米人が考えていたのは、「国家は悪いことをする」ではなく、「権力者は悪いことをする」
12月3日 マスコミは、「国家は悪いことをする」と思い込んでいる
12月4日 マスコミが権力を監視することは非合法であり、不要である
12月5日 地下鉄サリン事件やテロ事件によって、テロ等準備罪の必要性が高まった
12月6日 「国家は悪いことをする」と思い込んだ者たちは、テロ等準備罪に反対した
12月7日 「国家は悪いことをする」という発想が「安倍政治を許さない」を生んだ
12月8日 「国家は悪いことをする」と思い込んでいる者も、一種の愛国者