小室直樹先生は西欧の実例を紹介して「権力者はすぐ悪いことをする」というつもりで、「国家はほっておいたら悪いことをするので、憲法によって監視しなければならない」と発言しました。
ところがこれを聞いた日本のマスコミは、「国家は悪いことをする」という言葉を字面通りに受け取りました。彼らは大乗仏教の考え方に強く影響されて、「国家は悪いことをする」と思い込んでいるからです。
大乗仏教では、現実社会は自分の欲望を抑えられない未熟な人間が集まってできているので、互いにものを巡って争っていると考えます。戦争や喧嘩などの争いは、ものに対する執着によって起きるので、どんな争いも悪いことなのです。
大乗仏教に影響されたマスコミにとって、国家が何か具体的に国民の権利を侵害していなくても、国家が力を持とうとした時点で悪いたくらみを持っていると考えます。力が強くなった国家は、悪いことしかしないはずだからです。
日本国憲法第9条は日本が軍事力を持つこと及び戦争をすることを禁じています。政府は、「自衛のための軍事力はかまわない」とか「集団的自衛権は世界的な常識だから、日本にも認められる」とか説明していますが、条文を素直に読めばそのような解釈はできません。
この第9条のもとでは日本及び国民を守れないので、これを改正しようと多くの日本人が考えています。私自身は日本国憲法など成立していないと考えていますが、多くの人はそれと異なり、日本国憲法は一応成立していると思っています。だから不都合な条文である第9条を改正しようというのです。
ところがほとんどのマスコミは、第9条改正論をまともに検討する気がなく、「国家に強大な軍事力を持たせようと考えるのは、それによって悪いことを企んでいるからに違いない」と考えてしまうのです。
マスコミの世界にいる人は自分たちが大乗仏教の考え方に大きく影響されていることに気付いていません。それどころか、宗教とは無縁だと考えているはずです。しかし客観的に外部から眺めてみると、彼らが洗脳されていることがよく分かります。
以下はひと続きのシリーズです。
11月20日 若いときに出家するという習慣は、仏教から始まった
11月22日 出家は、もともとは家も友人も持たない厳しいもの
11月24日 今の日本の社会問題の多くは、神道と仏教の使い分け原則が崩れたことに原因がある
11月25日 FreedomとEqualityの訳語に仏教用語を使ったために、使い分けの伝統が崩れた
11月26日 神道と仏教との使い分けが崩れたために、「国家は悪いことをする」という考えが広まった
11月27日 仏教は、無理してものを捨てなくても良い、と教義を次第に甘くしていった
11月28日 仏教は、欲望を抑えきれない凡人が戦争を起こす、と考える
11月29日 権力を監視するのが憲法の役割、という考え方をマスコミは悪用した
12月1日 欧米には、国家を監視しなければならない、という発想がある
12月2日 欧米人が考えていたのは、「国家は悪いことをする」ではなく、「権力者は悪いことをする」
12月3日 マスコミは、「国家は悪いことをする」と思い込んでいる
12月4日 マスコミが権力を監視することは非合法であり、不要である
12月5日 地下鉄サリン事件やテロ事件によって、テロ等準備罪の必要性が高まった
12月6日 「国家は悪いことをする」と思い込んだ者たちは、テロ等準備罪に反対した
12月7日 「国家は悪いことをする」という発想が「安倍政治を許さない」を生んだ
12月8日 「国家は悪いことをする」と思い込んでいる者も、一種の愛国者