おしゃか様は、出家して6年間はバラモン教の修行を続けました。苦行をすることによって、天なるブラフマンと自分の心の中のアートマン(魂)が同じものだということを自覚できたらものに執着することがなくなる、というのがバラモン教の教義です。しかし、体がガリガリに痩せても、おしゃか様はものへの執着を断つことができませんでした。
苦行が無駄に終わったので、おしゃか様はバラモン教の教義を信用しなくなりました。一日中片足で立ち続けるなどという極端な苦行は無意味だし、ブラフマンという神様が天にいてもいなくてもどうでもいい、と考え直しました。ものに対する執着を無くすこととは関係がないからです。
おしゃか様は、「苦から逃れる」という目的を達成するにはどうしたら良いかを改めて合理的に考えました。そして、①徹底的にものを持たない生活をする、②ものが欲しくなる気持ちが起きないように自分の心に注意を集中する、という方法を確立しました。
35歳で方法を確立してから80歳で亡くなるまで、おしゃか様はものを持たない生活を徹底しました。全裸は人に不快な感情を与えるので、捨てられたぼろ着を縫い合わせて身にまとっていました(ジャイナ教という仏教と似たような宗教の修行者は、着物を不要と考えて全裸で生活していました)。今の僧侶が着ている袈裟は、ボロを縫い合わせた衣類のデザインだけを受け継いだものです。
食べなければ死ぬので、毎朝里に行って前夜の残り物を恵んでもらいました。このために食物を入れる鉢も必要でした。気温が上がると腐るので、朝の内にそれを食べていました。食事はそれで終わりです。おしゃか様の持ち物は、ぼろ着と鉢だけでした。「衣鉢を継ぐ」という言葉は、ここから来ています。
里人が恵んでくれる前夜の残り物に肉や魚が入っている場合は、そのまま食べました。僧侶は生臭ものを食べないという考え方は、もともとの仏教にはありませんでした。夜は洞窟の中か木の下でごろ寝をしていました。布団や枕などは不要なので、持っていませんでした。
真っ暗な中でごろ寝をしているので、盗賊や野獣さらにはブヨやサソリなどの毒虫から襲われる危険が絶えませんでした。出家は命がけだったのです。
以下はひと続きのシリーズです。
11月20日 若いときに出家するという習慣は、仏教から始まった
11月22日 出家は、もともとは家も友人も持たない厳しいもの
11月24日 今の日本の社会問題の多くは、神道と仏教の使い分け原則が崩れたことに原因がある
11月25日 FreedomとEqualityの訳語に仏教用語を使ったために、使い分けの伝統が崩れた
11月26日 神道と仏教との使い分けが崩れたために、「国家は悪いことをする」という考えが広まった
11月27日 仏教は、無理してものを捨てなくても良い、と教義を次第に甘くしていった
11月28日 仏教は、欲望を抑えきれない凡人が戦争を起こす、と考える
11月29日 権力を監視するのが憲法の役割、という考え方をマスコミは悪用した
12月1日 欧米には、国家を監視しなければならない、という発想がある
12月2日 欧米人が考えていたのは、「国家は悪いことをする」ではなく、「権力者は悪いことをする」
12月3日 マスコミは、「国家は悪いことをする」と思い込んでいる
12月4日 マスコミが権力を監視することは非合法であり、不要である
12月5日 地下鉄サリン事件やテロ事件によって、テロ等準備罪の必要性が高まった
12月6日 「国家は悪いことをする」と思い込んだ者たちは、テロ等準備罪に反対した
12月7日 「国家は悪いことをする」という発想が「安倍政治を許さない」を生んだ
12月8日 「国家は悪いことをする」と思い込んでいる者も、一種の愛国者